地獄の底でふたりきり

11.鎮守の沼にも蛇は棲むV

 嫌気がするほどに麗らかな小春日和のことだ。
 イヴはアダムの監視をかいくぐり、楽園の隅に位置する知恵の木を訪れていた。
 なだらかな丘を登り、木のふもとへと向かいながら、イヴは周囲をきょろきょろと見回す。
 この場所には、知恵の木以外に何もない。
 丘の上からは微かにイヴの住む屋敷の屋根を伺うことができたが、本当にそれだけだ。
 果てしなく広がる草原に、雲ひとつなく澄み渡る青い空、どこからともなく聞こえる小川のせせらぎ。
 誰かがいるという気配もなかった。

 本当にこんな場所に、悪魔などと言われるものが暮らしているというのか。
 半信半疑に歩みを止め、イヴは慎重に知恵の木を見上げた。
 すると何もないと思っていた葉の陰で、きらりと何かが輝くのが見て取れた。
 目を細め、光が見えた方角を睨みつける。
 見上げたすぐ先に、その男はいた。
 長い金髪の男だった。
 男は木の幹に背を預け、太い枝に足をかけ、腕を組み、眉をしかめながら仏頂面で昼寝をしている。
 木の葉の間からわずかに日が差し込み、それが顔を照らす度、浅い眠りを繰り返していた男は眉をしかめる。
 太陽の光が反射し、男の乱雑にまとめられた長い金の髪が輝きを見せていた。

 あまりに現実離れした光景に、イヴは思わず言葉を失った。
 息を呑み、木の真下で固まったまま男の姿を凝視する。
 純粋に、イヴはその男に見惚れていた。
 眉が不機嫌そうに動いてさえいなければ、死んでいるのではないかと思えるほどに白い肌。
 作り物のように整った顔立ちに似合いの金の髪が、風に吹かれ微かにそよいでいる。
 それこそ、ほんの少し目を逸らした瞬間にかき消えてしまいそうなほどに、現実味がない。
 見上げた先に映り込む金髪の男は、これまで見てきたどんなものよりも、イヴにとっては美しく映っていた。

 どうして、皆は彼を嫌い疎むのか。
 イヴにはますます、その理由が分からなくなっていた。

(こんなにも、綺麗なのに)

 どうしたものかと足を微かに動かせば、くしゃりと、足元の雑草が音を立てて揺れた。
 それを合図に、閉じられていた男の瞼がゆっくりと持ち上げられていく。
 見上げた先に現れた紫色の目は、忌々しげにイヴの姿を映し出していた。

「……人間風情が、一体俺に何の御用で?」

 口の端を皮肉げに吊り上げながら、男はじっと眼下のイヴを睨みつけている。
 言葉の端々から滲み出す敵意、浮かべられた嘲笑に、イヴはごくりと息を呑む。
 顔が整っているだけに、男の凄みには迫力があった。

 歓迎してもらえるとは微塵も思っていなかったが、想像以上にやっかいな相手かもしれない。
 イヴは深く息を吸い込み、眉を吊り上げ、幼いながらも気丈に振舞おうとした。

「……あの、おこしてしまって、ごめんなさい。あなたが、『へび』なの?」

「だったら何だというんです?」

 木の枝に威圧的に腰掛けたまま、男は怪しく瞳を輝かせる。
 面倒そうにあくびをする男に、降りてくる気は一切ないようだった。

「黙っていないで、さっさと用件を言ったらどうなんですか」

「……とくに、ようがあるってわけじゃないの」

 男の視線に、イヴは下を向きながら、ぼそぼそと声を吐き出していく。

「は?」

 男の喉元から威圧的に漏れた声に急ぎ顔を上げれば、男は頬杖をつき、鼻でイヴの奇行を笑い飛ばしていた。

「……わたしはただ、あなたとはなしがしたかっただけっていうか」

「話ィ?」

 再度、男はイヴを鼻で笑う。

「お友達ごっこなら他所でどうぞ、人間のお嬢さん」

 イヴがこれまでの見た中で一番いい笑顔で、蛇は容赦なく毒を吐く。
 小綺麗な仮面を貼り付けた男は、全力イヴの幻想をぶち壊しにかかってくる。

「……その『おじょーさん』ってよびかた、やめてくれない?」

「なぜ? わざわざ敬意を払って差し上げているというのに?』

「……ちっともそんなことおもっていないくせに」

 辛うじて敬語ではあるが、かなり崩れている。
 厭味、もしくは嫌がらせで丁寧に話しかけられていることは、イヴにも理解出来ていた。
 この男は、一切イヴを敬ってなどいない。言葉の端々から溢れる棘が、ちくちくとイヴの肌を突き刺していた。

「ええ、そうですよ。なんだ、意外に物分かりはいいんじゃないですか」

 喉の奥を震わせ、男は忍び笑いを漏らす。
 目を細め、蛇は木の幹に片手をつき、ゆっくりと体を起こした。
 枝から足だけを下ろし、上からではあるが一応はイヴと向き合う形となる。
 何が琴線に触れたのかは分からないが、少しは興味を引けたようだ。

「皮肉を理解する脳があるのなら、とっとと俺の前から消えていただけませんかね」

「いやよ」

 細められた紫色の目におののきながらも、イヴは気丈に男の姿を見上げ続けた。

「わたしは、あなたとなかよくしたいとおもっているの」

「余計なお世話です」

 清々しいまでにきっぱりと、男はイヴの言葉を切り捨てた。

「……どうして、あなたはみんなとかかわろうとしないの?」

 確かに口は悪く、お世辞にも性格がいいとは言えないだろう。
 だが、これくらいならそこまで避ける必要はないはずだ。

(よくしりもしないのに、かってにわるいひとだときめつけられている、か)

 他のものがアダムを恐れるのと同じだ。
 関わろうとしないで、第一印象だけで相手を決めつけている。
 少なくとも今の段階では、そこまで忌避される男ではないといった印象を受けた。

「どうして、わざわざそんなことを説明しなければいけないんですか?」

 イヴの言葉をなぞり、蛇は不機嫌をあらわにする。
 ただ、口が悪いだけ。話は通じている。
 同じ言葉を話す存在ならば、きっと分かり合えるはずだ。
 愛されることしか知らずに育った少女の頭の中は、おめでたいまでに平和ボケしていた。
 そんなことを知りもしない男は、これでもう諦めただろうと足を再び枝の上に乗せ、再び眠りにつこうとする。
 腕を組み背を幹に預け、蛇は木の上で静かに目を閉ざした。

「イヴよ」

 ぱちりと、蛇の目が再度見開かれる。

「『おじょうさん』じゃないわ。わたしのなまえ、イヴっていうの」

 身を乗り出した男の目の中に、おめでたい笑顔を浮かべる自分自身の姿が写り込んでいた。
 それまで余裕ぶっていた男に、微かながら動揺の色が滲む。

「あなたの、ほんとうのなまえは?」

 蛇というのは、あくまでも男が長を務めている種としての名前に過ぎない。
 うさぎの長である少女に『ラビアンヌ』という名があるように、この男にも個としての名が必ずあるはずなのだ。

 だが、蛇はイヴの問いに答えることはなく、心底鬱陶しげに瞳を閉ざしただけだった。背を向け眉をしかめては、頑なにイヴを無視する。

「ちょっと! むししないでよ!」

 返ってくるのは、痛いまでの沈黙だけだった。

「ねえってば!」

 何度呼びかけたところで、蛇が応える様子はない。
 どこからともなく聞こえて来る鳥のさえずりだけが、イヴの鼓膜を揺らしていた。
 しばらくすれば、辺りは鳥の声と草花の揺れる音に満たされる。

 ようやく諦めて帰ったかと、蛇は目を閉じたまま深く溜息を吐いた。
 ゆっくりと瞼を押し上げれば、葉の隙間から差し込む光が、蛇の顔を照らし出した。
 まったく、面倒な子供がいたものだ。
 わざわざ鼻つまみ者のところに、自分からやってくるとは。

(まあ、暇つぶしにはなったか)

 これ以上関わってやる気は更々ないが。

 再度、深く息を吐く。
 現在の待遇について特に不満はなく、蛇自身これといって文句を言うつもりもなかった。
 それどころか、順当なものとして真摯に受け止めていた。
 自分が他者から忌避されるに十分な性質の持ち主であることは、蛇自身一番よく分かっている。
 誰からも干渉されないこと。
 それが、偏屈者の蛇が望む唯一であった。
 こうして辺境の地、木の上に一人暮らしていれば誰とも関わらずに済む。
 そう思っていたのだが——

「まさか、自分から足を突っ込んでくる馬鹿がいるとは」

「……バカで、わるかったわね」

 ぎょっと、目を見開く。
 声のした方へ身を乗り出せば、眉間に皺を作り、男のいる木の上を目指し、必死に幹に手足を這わせ、ゆっくりとだが確実に高度を上げていくイヴの姿が目に入ってきた。
 さーっと足元から血の気が引いていく感触が、男を蝕んでいく。
 相手は一応、あんなのでも人間は人間だ。王のお気に入りである。
 ここでもし、落ちて怪我でもされたら。
 これまでの平和な生活が水の泡である。
 なんてことをしてくれるんだ。
 というか、普通「お嬢様」が木を登るとは思わないだろう。
 子供にしてはなかなかのものだ。いや、感心している場合ではなかった。そこまでして何がしたいんだ。

 呆気に取られ目を泳がせていると、ふとイヴと目が合った。
 瞬間、イヴが勝気な笑みを浮かべる。
 イヴが10メートルはあろう木の中腹あたりにさしかかったその刹那、一瞬時が止まったような気がした。

「訂正します。あなたは馬鹿どころか大馬鹿です。ええ、ええ、俺が悪かったですよ。あなたの馬鹿さ加減を見くびっていました。それに関しては謝ります。俺が悪かったです。——分かったなら今すぐ降りろ! 糞餓鬼!」

「い、や、よ! ここまできたらいじでもそこにいっ……!?」

 イヴの言葉が途中で途切れた。
 更に上に登ろうと足を掛けた場所の枝が、バキッという嫌な音を立てて折れたのだ。何かを言う暇もなく、バランスを崩した少女がスローモーションのように落下していく。
 まずい、と思う暇もなく、咄嗟に男の体は動いていた。
 単に、これ以上面倒なことにはしたくなかった。
 それ以上の感情はなかった。そのはずだ。

 自身も重力に従い落下していく中、落ちていく少女に手を伸ばし、なんとか自身の腕の中に囲み込むことに成功する。
 ぐるぐるとそのままの体制で地面を転がり、ようやく回転が収まった頃、男と少女は共に呆然自失の状態だった。

「……生きていますか」

 先に平静を取り戻したのは男の方だった。
 自身の胸の上で体を固くし、どくんどくんとうるさいほどに心臓を激しく動かしているイヴに、ほっと溜息を吐く。
 イヴほどではないが、男の心臓も激しく脈打っている。
 胸に耳を当てている形になっているイヴにも、それは痛いほどに伝わっているだろう。
 青ざめていた顔が、男の鼓動を確認した瞬間血色を取り戻していく。

「……聞いていますか、イヴ様」

「え、ええ……」

「怪我は」

「……してない」

 そうですか。なら、とっととどけ。そして二度と来るな。
 そう男が無慈悲に言い放とうとするのとほぼ同時に、ゆっくりとイヴが体を起こした。
 うららかな日差しがイヴの背後から差し込み、男の上に少女の影を落とす。

「……わたしの、かちね」

 蛇の上に跨ったまま、イヴは必死の形相で男の胸ぐらを掴み上げ、にっと口の端を釣り上げた。
 勝気に吊り上げられた青い目に映り込む男は、呆然と小さな暴君を見上げている。見とれていなかった、といえば嘘になるのだろう。
 幼いながらも、そこには確かに他者の上に立つ者としての気概が備わっていた。

「何がどう、あなたの勝ちなんですか」

「あなたはおりてきてくれた。だから、わたしのかち。……なまえ、おしえてくれるわよね?」

 男の顔を覗き込み、イヴは勝ち誇った笑みを浮かべる。
 蛇は口角を吊り上げ、瞼を閉ざし、喉を震わせ不気味な低い笑い声を漏らした。
 それを馬鹿にされたと受け取ったのか、イヴは眉をしかめ、半目で男の瞳を覗き込む。

「……あなたがおめでたい頭の構造をしている、ということはよく分かりました」

 見開かれた男の目に、黄金が混じる。
 肉食獣の瞳をぎらりと輝かせ、蛇は上機嫌に自身の上に跨っているイヴの姿を射抜いていた。

「ありませんよ」

「え?」

「俺には、名前がないんです」

 何の気なしに呟かれた蛇の言葉に、イヴはきょとんと、海色の瞳を間抜けに見開いていた。
 名前がない。イヴの知る限り、名前のないものなど存在しない。
 何らかの名前があるはずだ。だが、男が嘘を言っているとは到底思えなかった。

「……どうして、あなたにはなまえがないの?」

 まっすぐな目をして、イヴは男を射抜いている。
 女王然とした態度で、小さな支配者は男の姿を見下げていた。

 そんな事を言われたのは、初めてだな。

 目を見開いたかと思えば、男は一瞬素に戻ったのか、そんな事を困ったように呟いた。

「ないものはないですし、そもそも、俺を名前で呼ぶ必要はないでしょう」

「なまえでよぶ、ひつようがない」

「呼びたければ『蛇』でも『知恵の木の悪魔』でも、好きなように呼べばいいじゃないですか。それで別に事足りますし、名前なんて必要ありません。今後とも、名前を呼ばれるような仲の相手を作る気もありません。分かったなら、さっさと退——」

「わたしは……! あなたを、なまえでよびたいとおもうわ!」

 強い風が吹き、林檎の木を強く揺らす。
 草原が波打ち、同時にイヴの長い髪を優しく撫で上げていた。
 イヴの気迫に、男が息を呑む。目の中に滲み出す金が勢いを増した。
 紫と金が混ざり合い、なだらかなグラデーションを作りだす。

「みんながいうほど、わたしには、あなたがわるいひとだとはおもえない。たしかに、ちょっとくちはわるいけど……。それだけのりゆうでこんなあつかいをされるなんて、まちがってるわ。さっきだって、たすけてくれたし」

「あれはここで怪我をされては面倒になると思っただけで、別にあなたを心配したわけでは」

「それでも、たすけてくれたことにかわりはないわ」

 少なくとも、『悪魔』などという不名誉な呼び方をされるべきではない。
 それだけは確かだ。
 この男は、悪い人間ではない。血も涙もない、化け物などではない。

「わたし、あなたがすきよ」

 面白いほどに見開かれた蛇の目が、完全な金に染め上げられる。
 濁った紫は鳴りを潜め、髪と揃いの艶やかな黄金がイヴの視界を支配していた。
 イヴは見入っていた。
 日の光を反射し、一層光を増す金色の眼に。
 気を抜けば食い殺されてしまいそうな、その眼光に。

「そうですか。俺は嫌いです」

「でも、わたしはすきよ」

 好意を口にされたことがないのだろう。あからさまな動揺を見せる蛇に対し、イヴはわざとらしく肩をすくめて見せた。
 にこにこと全く退く様子がないイヴに対し、瞳を黄金に染めた蛇は深く溜息を吐く。

「……何度も言いますが、名前なんてさして重要なものでもないでしょうに」

「『じゅーよう』よ! なまえはたいせつ! とっても『じゅーよう』なんだから!!」

 イヴは一向に折れる気配がない。
 決して譲ろうとしないイヴに、蛇は呆れ顔でそっぽを向いた。

「……好きにすればいいじゃないですか」

 蛇が投げやりに言い放てば、イヴの顔には花のような笑みが浮かぶ。
 咄嗟にイヴの脳裏に浮かんだのは、数日前に父から教わった単語のうちの一つだった。

「れぼると」

 しばしの沈黙の後、イヴはぽつりと、そんな単語を口にした。
 頭の片隅で、鎖の揺れる音がした。シャンと、耳障りな甲高い音が、イヴの頭の中を支配する。
 蛇の視線が、再びイヴへと向けられる。黄金の中には、イヴのしたり顔が写り込んでいた。

「だから、レボルトよ! あなたのなまえは、レボルト……!!」

 頭の片隅で、再度鍵を掛けられたような音が鳴り響く。
 次いで、またしても鎖の音。魂を根幹から縛り付けられたような、歪な感覚。
 だが、決して不快ではない。

(なに、いまの)

 懐疑の眼差しで、眼下のレボルトを間抜けに見つめてみる。
 見下げた先、蛇は眼を閉ざし、何かに堪えるよう口角を吊り上げていた。
 もしや、落ちた時に怪我でもしたのかと心配になるが、開かれた口はいつも通りの軽口を吐き出していた。

「『反逆』とは、これまた酷い名前をどうも」

 見開かれた眼は、元のくすみがかった紫へと戻っている。
 それを、僅かに残念に思っている自分がいた。

「あなたがすきにすればいいっていったんだから、てっかいはしないわ」

「はいはい、感謝していますよ。どうもありがとうございます」

「きもちがこもってない」

「込めてませんからね」

 静かに、風が凪ぐ
 落下の衝撃で乱れた金の髪が、草の上乱れていた。
 口では皮肉を言いながらも、イヴに逆らう素振りは見せない。
 それは単にイヴが人の娘であるがゆえの行動であるのだろうが、この綺麗な生き物に気を許されたような気がして、イヴは少しばかり思い上がっていた。

「……あのね、レボルト」

 無理やりに決めつけた名を呼んでも、否定はされない。

「いつかはわたしのこと、すきになってくれる?」

「なりませんよ。生憎ですが、そんな日は一生来ません」

「……じゃあ、かようわ。わたしのことをすきになってくれるまで、ずっと」

 鼻で笑ってみせるレボルトに対し、イヴは穏やかに微笑みかける。
 それは、イヴのつまらない意地だった。このままなめられたままで終わるのは癪だったのだ。

「ぜったいに、すきになってもらうんだから」

 レボルトは先ほどからずっと呆れ顔だ。
 小娘の相手をしてやるのが単に面倒なだけかもしれないが、されるがままになっている。

「……いいでしょう」

 しばしの沈黙の後、レボルトが体を起こす。
 先ほどとは真逆の体制だ。イヴの上に覆いかぶさり、獰猛な目で人間の小娘をその瞳の中に捉えている。

 落ちる影の大きさに、ずっと上に乗っていたので忘れていたが、改めて、相手が成人男性だったことを思い出させられる。
 やろうと思えば、イヴのような小娘を殺すことなど容易いだろう。
 それこそ今この瞬間、首を絞めて殺してしまえる。
 だが、蛇はそれをしなかった。
 人だから、面倒になるから生かしているだけなのは分かっている。
 どれでもイヴは、少しだけ嬉しかった。受け入れてもらえたような気がしていたのだ。

 この時のイヴは、まだ知らない。
 名を付けることの意味も、定められた自分の未来も、蛇がその腹の底に何を抱えているのかも。
 何も、知らない。
 だからこそ、無邪気に笑っていられる。

「好きにすればいい」

「いったわね」

「ええ」

 飽きればそれで終わり。どうせすぐに飽きる。
 それまでは楽しませてもらうとするかと、戯れに所有品となった男は口角を吊り上げた。
 先ほどイヴにされたように胸ぐらを掴みあげ、妖艶に笑む。

「あなたが俺に飽きる、その日まで」

 存分に付き合ってやると、蛇は歪な笑みを浮かべた。