地獄の底でふたりきり

へびとしょうじょ

 子供の頃、父親に連れられて動物園へ行ったことがある。
 丁度シロクマの赤ちゃんが生まれたとニュースでやっていて、父にせがんで連れて行ってもらったのだ。
 夏休みの動物園は、見物客で溢れていた。
 シロクマの檻は、少女と同じくねだってきたのであろう、たくさんの子供達に取り囲まれていた。
 大勢の人に阻まれ、まだ幼稚園に入ってすぐだった少女には、父に肩車されたところで少しシロクマの影を確認することができる程度。
 加えてうだるような暑さで、少女は機嫌をすこぶる悪くしていた。
 困った父親は、少女を室内施設である爬虫類館へと連れて行った。

 当然のように、爬虫類館にはほとんど人がいなかった。
 いたとしても、涼みにきただけなのであろう。
 それほど熱心にトカゲや蛇を見つめているものは誰一人としていなかった。
 そもそも、爬虫類の大半は夜行性だ。昼間はあまり動きはしないのが、なお見物客の興味を削いでいるらしい。

「おとーさん、これは?」

 だが、少女だけは違っていた。
 声を掛けられ振り返れば、娘は食い入るように、それこそ何かに憑かれたかのように、一匹の蛇を見つめていた。
 見事な黒い蛇だった。巨大な木に巻きついた大蛇は、先ほど父親が見た時眠っていたのが嘘のように、熱視線に応えるかのように少女を見つめていた。
 ガラス一枚を隔てて、まるで運命の恋人同士のように見つめ合う娘と獣に、父は一瞬思考が停止した。
 喉に痰が絡みつく。

「あ、ああ! それは蛇って言うんだよ。……その、気に入ったのかい?」

 平静を装えていただろうか。
 父の心配を他所に、娘はあっさりと蛇から視線を逸らした。

「ううん。……ぜんぜん」

 おぼつかない足取りで父の胸へと飛び込みながら、あっけらかんと笑って見せる。
 だが、ガラスの向こうにいる相手は違う。
 今にも喉元に食らいつきそうな様子で、小さな人間の少女に対して舌を揺らしている。

「だって、わたしのものになってくれないんだもの」

 成人男性の膝上ほどの身長の少女とは思えぬほどの、憂いを帯びた視線を蛇に対して向ける。
 初めて見る娘の顔に、父はぞっとした。二度と動物園には、蛇には近付けない。
 そう心から誓わせるほどの何かが、その時の少女にはあった。
 娘の視線に、蛇は深々と首を垂れる。女王に対して膝を折る、忠実な下僕のように、
 すごすごと檻の奥へと引き返し、それ以降蛇が少女を見ることはなかった。

「もうあきちゃった。いこう?」

 それを当然のことのように享受し、幼い少女は父の手を掴み、出口へ向かって駆け出していった。

 嫌い。大嫌い。
 見つめるくらいなら、奪ってくれればいいのに、
 そうすれば、こんな思いをしなくても済んだのに。

(……わたし、なにをかんがえているんだろう)

  少女自身にも、自分が何を考えているのかが分からなかった。