アフタードールズ

8.古谷裁縫店1


 胡蝶がようやく「古谷裁縫店」を見つけたころ、既に日は傾き始め、空はうっすらと茜色に染まり始めていた。
 迷いながらではあるが、何とか辿りつくことが出来たことに安堵する。
 洋風の建物が並ぶ中、その店だけが小学校の修学旅行で行った、京都の老舗着物店を彷彿とさせる外観をしていた。建物の二階部分のベランダに、「古谷裁縫店」と書かれた木製の看板が取り付けられている。上は店舗とは別となっているのか、二階に上がる階段は外に取り付けられていた。木で作られた非常階段のようだ、といえば分かりやすいだろうか。
 深呼吸し、胸の中で眠るコジローへと視線を落とす。まだ息はある。
 深く息を吐き出し、胡蝶は裁縫店の引き戸を開けた。

「いらっしゃいま――」

 店の中にいたのは、和風な外観とは正反対の洋風な少女だった。頭に大きな白色のボンネットを被り、淡い金髪を二つ括りにした美少女。歳は胡蝶と同じか、少し下くらいだろうか。
 所謂ロリータファッション、というやつだ。白のクリノリンにも、一見メイド服のようにも見える足首まであるピンク色のワンピースにも、山のようにフリルがあしらわれている。
 彼女は薄汚れた胡蝶と人形に目を止めた瞬間、大きな青い目を見開き素っ頓狂な叫び声を上げた。

「紬(つむぎ)! 来てくれ!」

 見かけによらず、口調はかなり男らしい。

「なぁに? 騒々しい」

 キビキビとしている少女とは反対に、店の奥から聞こえた声はひどく間延びしている。あくびをかみ殺しながら姿を現したのは、黒い長髪を一まとめにした、和服姿の少女だった。見たところ、胡蝶と同い年に見える。
 たれがちの目はキョトン、と惚けたようにロリータ服の少女を捉えたが、事態の重大さに勘付いた瞬間、先ほどまでの空気が嘘のように、引き締まった表情に変わった。

「急患だ。あの馬鹿、かなり無茶をしたらしい」

 見かけよりも低い声が、悪癖を吐く。バタバタと忙しない足音が店の奥へと続く廊下へと消えていく。
 店の中も、外見と同じく純和風の建築となっていた。玄関先には3畳ほどの土間が広がっているが、その奥の一段高くなっている部分は全て畳となっている。
 畳の上、壁一面には焦げ茶色の箪笥が所狭しと置かれており、その上にはたくさんの布の巻物。箪笥に囲まれた畳の上、会計をするのであろう文机以外には、ろくなスペースがない。
 所狭しと和洋様々な布や服が置かれている。それ以外にもボタンや糸、裁縫店の名に違わず、大体のものは揃っているらしかった。

「あの」

「なんだ」

「……コジローは、助かりますか?」

 少女が小さく首をかしげる。

「お前、こいつの知り合いなのか。それならそうと早く――」
「……私の、です」
「は……? 」
「この子は、私の人形です」

 見紛う筈がない。生まれた時から一緒にいる、人形たちの中で誰よりも付き合いの長い狼の人形。赤ん坊だった胡蝶にはかなり大きいものだったが、今の胡蝶の腕の中にはすっぽりと収まる。
 間違いない、そう考えれば覚えた既視感も、幽霊でも見たように驚いたあの顔も、「お嬢」と口走ったことにも納得がいく。マリアの帽子を握る腕に力が篭る。汚れた薄桃色のカヌティエが更にくしゃくしゃになってしまった。

「そうか、お前が……、こいつの」

 もしかすると、以前からコジローは胡蝶のことをこの少女に話していたのかもしれない。疑問を口にした胡蝶に、ロップはどこか居心地悪げな顔をした。

「知り合いというか……。居候というか」
「居候?」

 首をかしげる胡蝶に、ロップは小さく頷く。

「うちの二階を貸してやってるんだ」
 
 胡蝶に一歩近付き、少女はあっけらかんと笑って見せた。

「あぁ、心配するな。そう簡単に死ぬようなタマじゃない。……にしても、ここまで酷いのは珍しいな」

 フリルのついた袖が差し出される。
 胡蝶はそっと、帽子とメガネごと人形をロリータ服の少女に手渡した。
 少女はメガネと帽子を胡蝶に返すと、まじまじと人形の観察を始めた。

「こいつもそうだが、お前もだ」

 診察をしながらこぼされた言葉に、喉の奥から小さな声が漏れる。

「ひどい顔だぞ」

 慌ててワンピースの袖で目元を拭う。だが、拭ったところで何か変わるわけでもない。ぐしゃぐしゃの顔が更にぐしゃぐしゃになるだけだ。

「とりあえず、そこに座れ」

「でも」

 畳が汚れてしまう。
 だが、少女は全く気にしたそぶりを見せない。売り物を自らの腕で乱雑に退け、なんとか人一人座れるスペースを畳の上に作り出した。

「いいから座れ。はぁ……。よっぽど酷い目にあったんだな。その様子だと、亡霊(ゴースト)を見たのも初めてだろう? 」

「ロップ、お待たせ~。裁縫道具の用意、出来たわよ~」

 臙脂(えんじ)色の着物姿の少女の訪れに、ゴーストとは何なのか聞き返すタイミングを失ってしまった。
 焦っているにも関わらず、少女の声はやはり、酷く間延びしてた。
 小さく頷いたロップが、座るか座るまいか悩んでいた胡蝶を畳の上に手招きする。

「そのままで外を出歩く訳にもいかないだろう。上がっていけ。こいつの知り合いなら尚更だ」

「いえ、でも」

「ああ、扉は閉めておけよ」

 胡蝶の言葉を最後まで聞かず、ロップは胡蝶にその辺にあった布を放り投げると、紬と共に店の奥へと続く廊下へと去って行った。ひとまずはこれで体を拭いておけ、ということらしい。
 クリスの家も先ほどのブティックもどこにあるのかわからない以上、下手に動くことも出来ない。それに、コジローのことが気に掛かる。
 ひとまずは、言われた通り扉を閉める。
 胡蝶は薄汚れた黒のローヒールを土間の隅に目立たないように置き、靴下を脱ぎ、渡されたタオルで慎重に足の裏を拭ってから、売り物を踏んでしまわないように忍び足になりながら、タオルとマリアの持ち物を抱え、店の奥へと歩を進めていった。

 廊下へと続く青い暖簾をくぐれば、これまた京都にある旅館のような佇まいが胡蝶を待ち受けていた。しかし壁に取り付けられた青い炎を揺らす蝋燭を見る限り、文化のレベルは現代の旅館というより、時代劇に出てくる商人の家、といった方が正しいのだろう。
 先ほどの店といい、この世界には電気という概念も、お金と同様に存在しないのだろうか。しかし、観覧車があるということはそれを動かす動力が必要ということになる。まさか、手で押しているわけでもあるまいし。
 それとも、胡蝶のいた世界では考えられない霊的な力でも働いているというのだろうか。ここが人形の世界というだけでも十分ファンタジーなのだから、ありえない話でもない。

 声のする方を頼りに廊下を奥へと進んでいく。角を曲がった先、開け放たれた一枚のふすまの向こうにロップはいた。紬の姿はない。
 囲炉裏を囲む形で敷き詰められた座布団の一枚に、内装とはいささか不釣り合いなロリータ服の少女がちょこんと正座している。
 巨大な箱の中を弄る少女の服の袖は大きく捲り上げられており、初めて少女の二の腕が露わになる。顔と同様に白くすべやかな肌をしていた。

「そこでボーっと突っ立ってないで、こっちに来たらどうなんだ」

 視線は箱の中に向けたままで、ロップは抑揚のない声でそういった。またしても躊躇いを見せる胡蝶に、ロップは小さく溜息を吐くと腕を止めた。
「今、紬が風呂を入れてくれている。それまでは、こいつの側にでもいてやってくれ」
 小さくロップの口角が上がる。胡蝶は無言で頷くと、恐る恐る室内へと足を踏み入れた。乱雑な言葉遣いだが、少女からは確かな気遣いが感じられた。

 それにしても、動く人形の治療というのはどうやってするのか、全くもって分からない。普通の人形と同じと考えるのならば、針と糸を使って修繕してやればいい。破れたり駄目になってしまった部分は、切り落としたり、代わりの布で補ってやれば何とでもなる。服を直すのと同じ。だが、この世界にいる人形達は動いている。紛れもなく生きている。

「……あの、治療って何をするんですか? 」

 座布団の一枚に腰掛け、抱いた疑問をそのままぶつけた。彼女は怒るでも、馬鹿げた質問と嘲り笑うでもなく、至って冷静だった。

「決まっているだろう」

 裁縫箱から長めの針を取り出して、ロップは至極真面目な顔で言い切った。

「――縫うんだ」

 取り出された針が、炎を反射し青く光る。次いで黒い糸、糸切り鋏、替えの綿を取り出す。それらを一旦箱の横に纏めて置き、ロップは再び裁縫箱の中を弄り始める。

「だがそうだな、その前に」

 取り出されたものに、胡蝶は目を疑った。それはピンク色の可愛らしい持ち手がついていようとも、紛れもなく布を切る為の「裁ち鋏(ばさみ)」だった。もう片方の腕にはコジローの皮膚の色とよく似たダークグレーの布が握られている。

「駄目になった布を、切り落とさなくてはな」
「そんなことして、その、だ、大丈夫なんですか!? 」
「言っただろう。人形っていうのは、人間なんかよりよっぽど丈夫に出来てる。これくらいでは死なん」
「でも、痛かったりするんじゃ……」

 人間で考えるのは間違いかもしれないが、片方の腕と足を同時に切り落とすとなれば、かなりの大手術の筈だ。それこそ、全身麻酔ものだ。
 それにより延命は可能かもしれないが、トカゲでもあるまいし、切り落とされた場所からもう一度手足が生えてくることはない。もちろん、義手や義足などの人工物をつければ、多少なりとも以前の生活に近付く事は出来るが、あくまでも近付くだけ。
 元のように自由自在に動く事はない。
 それを、いくら人形とはいえ、そうも簡単に「切る」と言ってしまうのは潔過ぎるのではないだろうか。
 ただの人形であればここまで胡蝶が焦ることもなかったかもしれない。だが、相手はコジローだ。胡蝶の年齢と同じ時を過ごしてきた旧友。
 ロリータ服の少女の動きが一瞬止まる。やがて、しばしの沈黙の後

「……そうか、お前は何も知らないんだったな」

 ロップはそう、呆れがちに溜息を零す。

「例外がないわけじゃないが……基本的に私たちは、「痛み」をほとんど感じない。なんなら、この場で私の腕を切り落としてみるか? ……ああ、それがいいな。ほら、やってみろ」

 裁ち鋏の刃元を持ち、取っ手をこちらに差し出してきたロップに、全力で首を横に振る。風呂上がりで、未だ濡れたまま降ろされている髪が左右に揺れた。
 いくら痛みを感じないからといって、なんの恨みもない他人を進んで傷付ける趣味は、生憎だが持ち合わせていない。

「……遠慮しておきます」
「そんなに真面目に受け取るなよ。……冗談だ」

 鋏を収め、ロップは口角を吊り上げた。

「まぁ、そうだな。痛くないとはいえ、私としてもしばらくの間仕事が出来なくなるのは困る」

 人形の感覚は、人間のそれとは随分ずれているらしい。だがもしも、人間があまり痛みを感じない生き物であったのだとすれば、胡蝶とてこんな風になっていたのかもしれない。
 尤も、人間は人形とは違い、なくなった腕が元に戻ることは二度とないが。
 縫えば直ってしまうというのは、それはそれで不幸なことなのかもしれない。自己防衛本能が欠如した状態といえば分かりやすいか。
 胡蝶が思案する間にも、ロップは着々と「治療」の準備を進めていく。囲炉裏の前に寝かされたコジローの表面に触れ、ロップは軽く頷いた。裁ち鋏を手にコジローへとにじり寄り、彼をフリルのついた腕の中に抱く。

「見たくないなら、目を瞑っておけ」

 最終確認として、青に照らされた金髪の少女は胡蝶に視線を送った。
 強く薄桃色のワンピースを握りしめ、胡蝶は首を小さく横に振った。見届ける義務があると思った。彼は胡蝶の人形だ。それならば、修理を見届けてやるのが持ち主の責務というものだろう。
 胡蝶の決意に反し、ロップの反応は軽い。

「そうか」

 淡々と呟き、ロップは視線をコジローに下ろした。もう胡蝶を気にする素振りはない。彼女の目は真っすぐにコジローを映している。

 ザク、ザク。二回鋏を閉じては開く。ほとんど炭になりかけた左の腕と足が、ハラハラと床の上に落ちた。
 ついで、新しい布を手に取る。まずは左腕から。ロップの修理の腕は確かだった。手を動かし始めてから、一度も止まることがない。迷いなく動いていく。
 刺しては引き、また刺しては引く。細やかな縫い目を順調に刻み、あと少しで完全に小さな腕がくっつくという頃になって、ロップは綿の入った袋から綿を取り出した。

「綿の硬さは? ……柔らかめの方がいいか?」

 自分に聞かれていると気付くまで、しばし時間が掛かった。咄嗟に頷くと、ロップは「分かった」と実に簡潔な答えを返した。
 再度静寂が訪れる。パチパチという、青い炎が燃える音だけが胡蝶の鼓膜を優しく揺らしていた。
 この世界の炎は、あの化け物が出していたもの以外全て、青い。理科の時間に見た、ガスバーナーの炎と同じ色だった。
 初めてガスバーナーやアルコールランプを授業で使った時に、「炎の色が赤いのは、十分な空気を得られていないからだ。そんな時は調節ネジを開けて、空気を送ってやればいいんだ」という説明を受けた気がするが、家庭用のコンロなどの自分で空気を調節できるものを除けば、基本的に炎は赤い色をしている。キャンプファイヤーなどがいい例だろう。
 だが、この世界の炎は違う、衣料品店の壁に取り付けられていた蝋燭の光も、今、目の前で胡蝶たちを照らしている熱も。考えたところで、答えが出るわけでもない。そもそも誰も理由なんて知らず、時間が流れていくのと同じように、「そういうもの」なのかもしれない。
 そんなことを考えている間にも、ロップの腕は止まることなく動き続けていた。

「出来たぞ」

 ほんの一瞬の出来事だった。そう言って見せられたのは、すっかり綺麗になった狼の人形だった。新品同様、とまではいかないが、先程までボロボロだったとは到底思えない。当然といえば当然なのだが、新しく縫い付けられた部分は元の布の色よりも少しだけ濃く、言われなくても新しく縫い付けられた部分なのだと分かってしまう。

「しばらくすれば、新しく縫い付けた部分も完全に馴染む。そうなれば、日常生活を送るのにも何ら支障ない」

 さすが人形の世界、というべきなのか。現実での人形たちより、もちろん人間よりも、ここでの人形たちはよほどタフに出来ているらしい。タフなんていう次元じゃない。回数の制限がないのならば、トカゲの尻尾なんか屁でもない回復力だ。

「流石に、数日は大人しくしていてもらわなければならんがな。そうだな、しばらくは騎士(キャバリアー)の仕事も休みだ。……まぁ、こいつのことだからどうせ暴れるんだろうが」

 盛大な溜息を吐きながら、ロップは裁縫箱から出てくるには些か不釣合いなものを取り出した。包帯でコジローの腕と足をぐるぐると巻いていく。はたから見れば、骨折患者そのものだ。
 包帯を巻かれているのが人形、というのはかなりシュールだったが。
 それにしても、また、だ。
 またしても、知らない単語。
 「ゴースト」に、「キャバリアー」。ゴーストの方は、単純に日本語訳するのならば「幽霊」なので、おそらくあの化け物を指すのだろうが、「キャバリアー」の方が何なのかさっぱり分からない。仕事、というくらいならだから、おそらく職業なのだろうが。
 問おうとする胡蝶を遮るような形で、呑気な声が部屋の襖を開けた。

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