アフタードールズ

5.楽しいお買い物


 扉の向こう側。そこは正に、夢の国と言って相違なかった。
 人に混じって、二頭身、あるいは三頭身の人形たちが素知らぬ顔で、テーマパークの中を闊歩している。歩いている人間の姿をしているもの達も、おそらくは人形なのであろう。皆が皆、見目麗しい、それこそ、表情はあれども作り物のように美しい顔付きをしている様は、逆に気持ち悪くもあった。
 アンティーク調の石畳の道、可憐な花たちが植えられた煉瓦造りの花壇、どこか不規則な、それでいて見ていて不愉快ではない絶妙なバランスで建てられた、計算され尽くされているカントリー調の家々。
 そして、ひときわ目を引く街の中央にそびえ立つ巨大な観覧車。硝子のゴンドラに太陽の光が反射し、宝石箱のように輝いている。
 もしも「イギリスをモデルに作られた遊園地です」とでも言われれば、誰も疑うことはないだろう。少なくとも、「人形の世界」だなんてふざけたことを言われるよりは。
 遊園地の中に家がある、というのはおそらくこんな感じなのだろう。家々の前に吊るされた洗濯物が妙に生々しい。
 だがいくら視線を忙しなく動かしたところで、土産屋も、観覧車以外のアトラクションも見当たらなかった。

「おはよう!」

「ええおはよう! 今日もいい天気ね!」

 街道の雰囲気は和やかそのものだ。
 街行く人々は気軽に挨拶を交わし、どこか浮き足立っている。
 道行く人々の多くは、マリアと同じような服を着ていた。 中世ヨーロッパ風、もっと具体的に表現するのならばイギリス、オランダ、ハンガリー、オーストリア、ドイツの民族衣装を足して5で割った、といった感じだった。
 理想の街、主人を思う心が作り出した虚像。様々な人形達の心が混ざり合い、生み出された混沌。
 ちらり、と胡蝶は頭上を見上げた。ビンゴ。緑色の屋根だ。

「どう? 気に入ってくれた?」

 ビリジアンブルーのワンピースの裾を翻し、手を後ろで組んだマリアが白い歯を見せる。

「遊園地みたい」

「でしょう?」

 率直な感想に、マリアは上機嫌だ。
 ローファーとヒールが、石畳を踏みしめていく。
 巨大な円は、焦ることなくゆっくりと回転を続けていた。

 本当に小さい時、それこそまだ家族の形が保たれていた頃。
 一度だけ、家族三人で遊園地に行ったことがある。はっきりと何をした、という詳細までは覚えていない。
 それでも、ゴンドラから見えた遠ざかっていく景色、眼下に見えた光の海、星々の流れを、胡蝶は未だに忘れることが出来ずにいた。強く頭に焼き付いて離れない、決して消えることのない幻影。

「この街はあの観覧車を中心に作られているの。ここは、観覧車を取り巻く円のちょうど中心にあたる住宅街。お店なんかは観覧車の袂に密集しているから、ちょーっとだけ歩くことになるんだけど、近道はしない方が無難よ」

 胡蝶は観覧車から視線を外し、横並びに歩くマリアを見上げた。

「どうして?」

「危ないからに決まっているでしょう!? 路地裏は暗くて狭くて、まさに狼の巣窟! 私一人ならともかく、可愛い胡蝶を連れてなんて……! ああ! とても出来ない!」

 苦笑いが漏れ出てしまう。人形たちの美的感覚は、少し、いや、かなりずれているのではなかろうか。マリアたち人形に比べれば胡蝶なんて石ころ同然だ。彼女たちは自分の美しさをもっと自覚したほうがいい。完成された美、文句の付け所なんて一つもない。
 それともマリアには、胡蝶が絶世の美少女にでも映っているのだろうか。

「そうだ! 観覧車の近くにはステージもあるのよ!」

 思い浮かんだのはヒーローショーをやるような屋外の円形ステージだった。ステージと階段状の客席の上に簡易的な雨避けがあるだけの簡素なもの。そういえば、当時テレビでやっていた戦隊ヒーローのショーを見たような気がする。
 不意に、二人の目の前をモンシロチョウが横切った。

「あ、次の角を曲がったら見えるかもしれないわね。ほら、あそこ」

 飛び込んできたものは、概ね胡蝶の想像通りの建築物だった。ステージと客席を覆う形で、意外にもしっかりとした白い雨避けの屋根が取り付けられている。しばらく歩いていると、次第にステージの全貌が露わになった。舞台の上にはおざなりにダンボールが積まれており、スタッフと思しき人型の人形達が次から次へと箱の開封作業に追われていた。飾り付けも実に中途半端であり、今はまだ、準備中のようだ。

「この街で一番大きなステージなのよ! ……私ね、いつもあそこで歌っているの」

 胸の前で軽く指先を合わせ、マリアはひっそりと呟く。

「言ったでしょう? これでも私、スターなんだって」

「じゃあ、そのメガネと帽子はもしかして変装なの?」

「そうよ。ふふん、スターも結構大変なんだから」

 ウインクを飛ばし、マリアは思わせぶりに帽子を深く被りなおした。
 太陽の光が心地よく、二人の背を温めていく。
 歩くにつれ、人混みは次第に大きくなっていった。はぐれないようにしっかりとマリアの背を追う。
 自然、駆け足になっていた。おもむろに周りを見渡せば、ちらほらと飲食店が立ち並び始めている。
 喧騒は次第に賑やかさを増し、市街地も熱気を放ち始めた。目的地まで、もう間もなくだ。
 視線を上げれば、すぐ近くに、それこそ目と鼻の先に観覧車が迫っている。あまりのスケール感に、見上げる首が痛くなってきた頃、マリアは一度足を止めた。それに習い、胡蝶もゆっくりと歩みを止める。

「さぁ、着いたわ」

 マリアが頭上を指差した。

「ここが、エリプス通りよ」

「エリプス通り」と英語で記されたアーチ状の門に太陽の光が反射する。
 門をくぐる者は様々だ。二頭身のもの、たくさんの果物を手押車に乗せて運ぶ人、恋人同士なのであろう仲睦ましげな男女から、小さな子供達まで。
 門の向こうには、広い通路の中心に等間隔に植えられた木々を挟み、両サイドには数え切れないほどの商店がある。お祭りの屋台のようなものから高級そうなブティックまで、非常に間口は広いようだ。
 先ほどまでの住宅街の雰囲気とは打って変わって、この一帯は煉瓦で作られた建物が主らしい。ログハウス調もいいが、赤煉瓦もまた風情がある。
 その中にあっても、やはり一際胡蝶の目を引くのは巨大な観覧車だった。
 観覧車は小高い丘の上に建造されているらしく、少しエリプス通りを歩いていると、定期的に、観覧車に向かうための小さな石造りの階段が目に入る。ちらりと階段の上に視線を送れば、丘の上は一面の芝生だった。観覧車を取り囲むような形で木製のベンチが並べられており、買い物に疲れた客たちの休憩所となっている。
 今の所、観覧車に乗ろうとするものは誰一人として見当たらない。絶え間なく動いているにもかかわらず、だ。
 それどころか、係員すらも見当たらない。この街の住人は、あれを「乗り物」ではなくただの「モニュメント」としてでも捉えているのだろうか。随分もったいないことをするものだ。
 だが、マリアは胡蝶が乗りたいと考えていることをあまりよく思っていないらしい。
 人形は高いところが苦手なのだろうか。もしくは、この観覧車に乗るためには相当な物品を用意しなければならないのだろうか。
 それとも単に飽きてしまったのか。 両親が、「家族ごっこ」に飽きてしまったように。

「胡蝶? どうかした?」

 しばし立ち止まり丘の上を眺め続けていると、少し先を歩いていたマリアが戻ってきた。
 なんでもないと首を横に振り、胡蝶はマリアの元へと駆け出した。

「どこか気になるところはある?」

 ゆっくりと通りを進んでいく。焦る必要はなく、時間の流れは緩やかなものだ。
 おもむろに通りを眺めていると、香ばしい芳香が胡蝶の鼻をついた。通りに連なる屋台の一つからのようで、赤煉瓦の壁の前に立てかけられた看板にはでかでかと「ベビーカステラ」の文字が描かれている。
 先程マリアの手料理を食べたばかりだというのに、どれだけ食い意地が張っているのか。 胡蝶は必死に首を横に振った。

「今のところは特にない、かな」

「そう? じゃあ、私の行きつけの店があるから、とりあえずはそこに行きましょうか。……あ、他に気になるところがあるのなら遠慮なく言って頂戴ね」

 無理強いはしたくないもの。そう告げて、マリアは朗らかに笑った。
 静かに頷き、マリアの後に続く。連れてこられたのは、大通りに面した小綺麗なブティックだった。
 白い扉の両サイドにあるショーウィンドウの壁には上等そうな生地の赤いカーテンが掛けられており、飾れらたマネキンにはマリアの纏うものとよく似た雰囲気の落ち着いたドレスが飾られている。幼少期にピアノの発表会で着たワンピースとよく似ていた。
 白い木製の扉の上半分はガラスになっていたが、丁寧に施されたモザイク画のせいで中を伺うことができない。
 尻込みしている胡蝶を置き去りにし、マリアはいとも簡単に豪奢なドアを押し開ける。甲高いベルの音に、胡蝶はもう引き返せないことを悟った。

「いらっしゃいませー」

落ち着いた声が胡蝶の耳に飛び込んでくると同時に、カラン、という音を立て、背後の扉が閉まった。
しっかりと団子状にまとめあげたられた長い金髪が、几帳面そうな印象を与える女性だった。歳はマリアより下、胡蝶より上といったところだろう。幸か不幸か、胡蝶たち以外の客はいない。
店内の雰囲気に、正直胡蝶は圧倒されていた。床一面に張り巡らされた真っ赤な絨毯。白い壁に、黒い天井。見たところ、窓は全て絨毯と揃いの赤いカーテンで閉ざされている。ブラックを基調としたラックの上には色とりどりのシャツやスカートが飾られている。
 メインとなるこの売り場の奥には、さらに奥へと続く道があった。試着室だろうか。胡蝶はわずかに首を傾げた。
 挙動不審になる胡蝶とは反対に、マリアは脱いだ帽子とメガネを手渡しながら、スーツ姿の店員にてきぱきと指示を出している。手慣れた動作は彼女が常連であるが故のものなのであろう。

「ああ、そうだ! マリア様がお好きなメーカーの新作が入っているんですよ! そちらをご覧になりますか?」

「それも、いいんだけど……。そうね、またの機会にしようかしら。今日は、頼んでいたものを引き取りに来たの」

 店員の目が、ぎょっと見開かれた。女性の蒼眼がまっすぐに胡蝶に向けられる。マリアとクリス同様、彼女も整った目鼻立ちをしていた。
 好奇に満ちたつぶらな青い目が、じっと胡蝶を捉えている。身長が低いことがコンプレックスの胡蝶からすれば、モデル体型の彼女たちは正に理想の存在だった。すらりと伸びた長い足、出るところは出ていて、引っ込んでいるべきところは引っ込んでいる。
 もしかするとマリア同様、彼女も着せ替え人形だったのかもしれない。 そうでなければ、フランス人形か。どのみち少女向けの人形であったに違いない。

「……もしかして、マリア様のご主人様ですか?」

 マリアと胡蝶の間、忙しなく視線を動かす。彼女の目の輝きが増した。
 胡蝶が何か口にする前に、マリアが勢いよく声を上げる。次いで体を握りつぶさんばかりの勢いで抱きついてきた人形に、胡蝶はぽかんと口を開け、マリアと店員の顔を交互に見るしか出来なかった。
あまりにも熱烈な頰ずりに、少し頰が痛くなってくる。

「そうなの! そうなのよ!! とっても可愛いらしいでしょう!? あなたもそう思わない!?」

「ええ! 本当に!!」

 胸の前で両手を握りしめ、店員は深く感嘆の溜息を吐いた。彼女の褒め言葉は、世辞ではないように思えた。
 マリアに同意して、というよりむしろ、羨望とも言える眼差しで。マリアと胡蝶の姿を交互に眺めては、恍惚に頰を染め上げる様に、照れを通り越えて恐怖すら覚えた。

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