アフタードールズ

22.亡霊の王


 蝶の飾りのついた黒のミニハットに、同じ色の黒いショートドレス。
 彼女の主人は失敗作だと嘆いていたが、マリアにとっては一番の宝物。
 ほつれだらけで所々破れては修繕を繰り返したため、お世辞にも綺麗なものとは言えないだろう。
 それでも、マリアは決めていた。ステージに立つ時は、絶対にこの服を着ると。
 胡蝶にこの服を纏う自分を見せたかった自分もいれば、今でも大事に着続けているのを見られるのは少し気恥ずかしくもあった。残念ながら、今回胡蝶に見せることは叶わなくなってしまったが。
 でも、これで良かったのかもしれないとマリアは胸元のブローチをそっと押さえて見せた。

 本番まで、あと少し。
 楽屋に置かれた鏡の前でくるりと一周してみる。胸元に取り付けられた金色の蝶のブローチが満足気に輝いた。

「羨ましいなぁ」

 そう零すのは、彼女の先輩だ。パイプ椅子に腰掛けた小さな黒いウサギの人形が、ギターの弦を弾きながら、退屈そうにぼやく。

「一番最後に胡蝶の家に来たくせに」
「着せ替え人形の特権ね。いいじゃない、そのベストも似合ってるわよ」
「……体に縫い付けられた既製品じゃないか」

 チェッと舌打ちをこぼし、真っ赤なチェック柄のベストを羽織ったクロは、ギターを弄る手を止めた。

「そんなあなたを、胡蝶は愛したんだから」

 クロが顔を上げる。

「もっと自分に自信を持ちなさい」
「偉そうに命令しないでくれる。マリアのくせに」

 胡蝶の家に来たのはクロの方が先。それなのに、何故だろうか。マリアには、このウサギの人形が弟のようにしか思えないのだ。順番から言えば、クロが三番目、マリアが一番最後。クロだけではない、マリアにとっては上の三人の方がよっぽど子供のように思える。我儘で、子供っぽい。よく言えば人形らしい三人の兄達。

「そうだったわね、「お兄ちゃん」」

 わざとらしく口角を吊り上げたマリアに、それまで椅子の上で胡座をかいていた半パンの少年が立ち上がる。立ったところで、クロはマリアの腰程の身長しかない。

「馬鹿にしてるだろう!」
「そう聞こえたのなら、馬鹿にしてるのかもしれないわねぇ」
「クッソ! 今に見てろ! いつかは僕だって立派な騎士(キャバリアー)になって見返してやるんだからな!」
「そう? まぁ、それなりに期待してるわね」

 ワシワシとクロの短髪をかき乱していく。コジローやレンブラントに感化されたのだろうが、最近のクロはことごとく、騎士の話を事を口にするようになった。
 マリアの極めて個人的な感情ではあるが、クロには騎士(キャバリアー)になって欲しくない。コジローもクリスも、酷く遠い世界に行ってしまったように感じるのだ。自分だけが置いていかれてしまっている。それなのに、クロも自分の元を離れていってしまえば、マリアはどうすればいいのか分からなくなってしまう。

 胡蝶が願ったのは、人形達が仲良くすること。
 その夢を叶えることも、マリアの役目。
 少女の夢を体現するのは、いつだって着せ替え人形と相場が決まっている。

「マリア、時間だ」

 楽屋の扉を開け、レンブラントが顔をのぞかせる。
 小さく頷き、ステージへの道を歩き始める。腰にバチを差した猫と、ギターを背負ったウサギと共に。一歩一歩、確実に夢への一歩を進んで行く。
 人形が叶えるのは、主人の希望。
 叶うことのなかった、捨てられた胡蝶の夢の欠片。
 持ち主が捨て去ってしまっても、人形(わたしたち)は忘れない。
 決して、忘れはしない。

 私たちは夢の欠片
 水底に沈むあなたの過去
 葬り去られたあなたの未来
 
 どうか、どうか忘れないで

 炎の海へと沈みながら
 それでも願わずにはいられない

 ああ、私たちのご主人様
 願わくば
 あなたの行く道が、末長く幸せでありますように

 ステージに登れば、出迎えるのは大観衆。青い炎の巨大な明かりが青空の下歌姫の姿を一層輝かせる。ステージの向こう側では、巨大な観覧車が回っていた。のんびりと回る、光の円。観客席からは溢れんばかりの熱気が伝わってくる。

 この瞬間が、一番好き。大歓声に包まれるこの瞬間が。
 胡蝶がそうであれと願った自分(ゆめ)を、一番に実現出来ていると実感出来るこの時が。

「今日は、来てくれてありがとう」

 人形達の瞳は輝いている。チューニングの音と絶叫が、マリアの鼓膜を優しく揺らしていた。

 ステージに立つだけで、こんなにも心が躍る。瞳を閉じれば、蘇るのは懐かしい主人の部屋。聞こえてくる、優しいピアノの音。

「みんなの為に。そして、世界で一番素敵な私のご主人様の為に、歌います」

 胸いっぱいに、歓声を吸い込んでいく。

「それでは、聞いてください!」

 どうかこの声が、人形達(みんな)の心を満たしますように。
 言葉ではなく、心を――魂の叫びを!
 胸に満ちた思いを、メロディーと共に吐き出していく
 私は歌姫。胡蝶がそうであれと望んだ、唯一無二の胡蝶の人形。

 ――そんな自分を、私は誰よりも誇りに思う。

*****

 残り半分の途中休憩。
 両手いっぱいに花束やプレゼントの入った箱を抱きしめ、マリアは足で楽屋の扉を開ける。
 歌姫にあるまじき所作だが、クロもレンブラントも気にした素振りはない。クロは大げさに伸びをしながらあくびを漏らし、レンブラントの方もいつも通りだ。黙って椅子に腰掛け、サングラス越しの瞳を閉ざしている。

 マリアは、プレゼントを控え室のテーブルの上に置くと、おもむろに自身の胸に手をあてがった。まだ、心臓が激しく脈打っている。気分の高揚を抑えることが出来ない。そんなマリアの気持ちに水を差したのは、他ならぬ胡蝶の人形であるクロだった。

「胡蝶、来てなかったね」

 今度は違う意味で心臓が破裂するかと思った。嫌な汗が背を伝う。
 振り返れば、あからさまに臍を曲げた小さな兎が目に入る。腕を組み、唇を尖がらせたクロは、パイプ椅子の上胡座を組み縮こまっていた。
 それまで瞳を閉ざしていたレンブラントが、おもむろに瞼を上げる。

「……絶対見に行くって言ってたくせに」
「胡蝶にも、事情があるのよ」
「……母親面するなよ」

 頭へと伸ばされたマリアの手を退け、クロはマリアに厳しい視線を向ける。

「僕は子供じゃない」
「……分かってるわよ」

 しばしの沈黙が続く。観客席からの歓声だけが、虚しく楽屋の空気を揺らしていた。

「僕、午後のステージには出ない」
「クロ」

 咎めるようなマリアの声も無視し、クロは独白を続ける。

「お客が見にきてるのは歌姫であって、ドラマーでも、ましてやしがないギタリストでもない。……胡蝶が来てくれないなら、僕はステージに出ない」

 再び訪れる沈黙。歌姫の再登場を求める声に、時計の針の音が混じり合う。

「好きにすればいい」
「マリア」

 珍しく、レンブラントが焦ったようにマリアを呼び止める。腰に両腕をあてがい仁王立ちでクロを見下すマリアは、どこか殺気立っていた。レンブラントの声には全く耳を貸さず、眉を吊り上げたままクロを見下す。

「出たくないと言うのなら、私は止めないわ。……勝手にしなさい」

 数秒潤んだ瞳でマリアを見つめてから、クロは二人に背を向けた。逃げ足の速さはピカイチ。伊達にウサギではないという訳なのか。楽屋の扉を開け、全速力で駆け出したクロを追いかけようとレンブラントが戸を開けても、そこにクロの姿はなかった。

「……どうする気だ」

 呆れがちに、猫は着せ替え人形を睨みつけた。
 対するマリアは深く溜息を吐きながら、クロが座っていたパイプ椅子に腰掛けていた。どこかホッとした様子で憂いを帯びた眼差しをする歌姫に、レンンブラントは黒のラウンドグラス越しに怪訝な視線を送る。
 マリアが殊勝な顔をする時は、大抵よくない事が起こる。

「どうするって?」
「……ステージ」
「ああ、それなら「もう」いいのよ」

 どこか、引っかかりを覚えた。コンコンと、控えめなノックの音。

「そろそろ来ると思ってたの」

 ドアノブを回し入ってきたのは、一人の優男だった。女のような顔をした、細く見目麗しい王子様のような男。胸元の白いパフスリーブに、焦げ茶色のベスト。黒曜石のような底の見えない瞳がわざとらしく半月型に歪められている。
 キャラメル色のポニーテールが、男が動くたびに尻尾のように揺れていた。

「……レン、少し外してもらえる?」

 マリアの声が鋭さを帯びる。小さく頷き、レンブラントは足を踏み出した。部屋を出る寸前、男とすれ違う。
 横を通り抜けた時、ぞっと、寒気がした。穏やかな笑みを貼り付けた、王子様のような男。この男のことは良く知らない。だが、男の中にいるのが「王子様」なんて可愛らしい響きのものでは到底ないことだけは、確かに分かった。

「いつから、気付いていたんですか?」

 二人きりの楽屋で、クリスは世間話でもするように唐突にそう切り出した。パイプ椅子に腰掛けたマリアは、足を組み、そうねぇとこれまた呑気な声を漏らす。

「確信したのはつい昨日のこと。でも、うっすらとは気付いていたわよ。ああ、この人はもう呪われているんだなぁ……って」

 下げていた視線をゆっくりと上げていく。飛び込んでくる笑みは、いつもとなんら変わらない。それだけが、ただただ悲しかった。

 どんな人形だって、一歩間違えれば亡霊(ゴースト)に堕ちてしまう危険性を孕んでいる。負の感情にゆっくりと蝕まれ、主人を守る存在から、蝕むものへと姿を変える。その変化の過程を、人形達は「呪い」と呼ぶ。強すぎる思いは、時として主人を害するものにもなり得る。その可能性は、マリアも重々理解しているつもりだった。

「あなたなら、戻ってこられると思っていた。でも、それは間違いだったみたいね」

 前例がない訳じゃない。ギリギリで踏み留まって戻って来たオレンジ髪の猫の人形を、マリアはよく知っている。だが、一度亡霊となってしまえば。
 その体に炎を宿してしまえば、二度とは戻ってこられない。
 ゆっくりと、瞼を押し上げていく。

「あなたなんでしょう、王(キング)は」

 見上げた先の微笑みは、ピクリとも動かない。黒い炎を宿した、亡霊の統率者。
 主人への想いが強ければ強い分、愛された時間が長ければ長い分だけ、人形の力は強くなる。
 人形達が最も敬愛する存在は自身の主人だが、それと同時に人形達にだって憧れる存在はいるのだ。女の子がファッション雑誌を読んでモデルに憧れるように、こんな人形になりたい、私だってこの人みたいに主人に愛されたい。そんな願いが、マリアをスターへとのし上げた。主人に愛された、主人の理想像を律儀に守ろうとする、理想の偶像として。
 亡霊達とて同じなのだ。人形達の憧れがマリアなのだとすれば、亡霊達の憧れは王(キング)その人。

 自身と尤も似た境遇にある、主人に一番愛された亡霊。

「ええ、そうです」

 瞳から黒い炎を迸らせながら、変わらぬ笑みで微笑む。

「どうしてあなたが」
「どうして? それは愚問でしょう」

 口元に細い指をあてがい、困ったように笑う。

「胡蝶に必要なのは、幸福な時間です。苦しみでも、悲しみでも、ましてや捨て去った辛い過去でもない。それなのに、胡蝶が選んだのは私ではなかった」

 男の中の炎が一層熱を増す。
 クリスらしい考えだと、マリアはどこか納得していた。
 彼が胡蝶と出会ったのは、彼女の幸せの絶頂。一番、幸せだった時間。
 丘の上の観覧車に、星のような電飾達。お気に入りの靴を履いて、両手を繋いで歩いていたあの頃。
 マリアが胡蝶の元を訪れたのは、それよりずっと後。
 マリアが家に来た時、既に彼女の夢は終わっていた。

「胡蝶は決して忘れたりしないわ。私たちと過ごしてきた時間の全てを。もちろんあなたのことも、大切に思っている」

「ええ、そうでしょう。胡蝶は絶対に「私達」を忘れたりしない」

 呟いてから、クリスは視線を下げた。自身の手のひらを呆然と眺めてから、強く握りしめる。

「――だからこそ、邪魔なんですよ」

 亡霊の王が、不気味な笑みを浮かべた。

「そう」

 長い睫毛を伏せる。金色のブローチに指をあてがいながら、マリアは静かに息を吐き出した。

「……あなたは、あの子の「今」を否定するのね」

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