アフタードールズ
17.亡霊と騎士
「本当に点検と弾だけでいいのか? 今日はもっと威力の高いやつを入荷してて――」
「いいから早くしてくれ」
きっぱりと言い切るコジローに、店主は「ヘェヘェ」とわざとらしく相槌を打って見せた。あからさまに顰められた眉を無視し、ベンはシワだらけの腕を動かし続ける。
事務机を挟み、二人は安物のパイプ椅子に腰掛けていた。その周囲を、無数のダンボールが囲んでいる。中に入っているのはベンの私物から売り物の銃、上級幽霊(ゴースト)の資料まで様々だ。
向かいの席に座るサングラスの男の意識は、職人に磨かれている愛銃にはない。何度も貧乏ゆすりを繰り返す騎士(キャバリアー)に、待っているのは胡蝶の方だというのに、これではコジローの方が待てを食らった犬のようではないかと、ベントゥーラは笑いを堪えるのに必死だった。
あの鉄面皮が、ここまで変わるものなのか。
「何がおかしい」
「いんやぁ? 別にぃ?」
耐えたつもりだったが、滲み出てしまっていたらしい。不気味なニヤニヤ笑いを浮かべる職人に、コジローは小さく舌打ちを溢した。
「『私たちは夢の欠片、水底に沈むあなたの過去、葬り去られたあなたの未来』……だっけか?」
呟いた男に、コジローがちらりと視線を向ける。
「どうか、どうか忘れないで
炎の海へと沈みながら
それでも願わずにはいられない
ああ、私たちのご主人様
願わくば
あなたの行く道が、末長く幸せでありますように」
言葉の先を静かに読み上げて見せた男に、ベントゥーラは小さく拍手を送った。
人形たちが揃って口にする、ベントゥーラにしてみれば呪いの言葉。
「なぁ、やっぱりあんたらにとって、ご主人様ってのは大事な存在なのかい?」
ベントゥーラは確かに人形ではあったが、コジロー達愛玩人形とは違う目的を持って生み出された存在だった。
ペルーで作られた彼は、日本で喫茶店を経営していた一人の若者に、ある日土産として買われていった。彼の経営する喫茶店の中に、マスコットキャラクターとしておかれた陶器の人形を、客達はこぞって愛してくれた。
「エケコ人形」。煙草を咥えさせ、祈れば願いが叶うとされる福の神。それが、ベントゥーラの本来の姿だった。
他の人形と同じく、ベンとてもちろん人間を愛している。だからこそ、彼はこの世界にいる。しかし、男の愛は特定の人間に向けられたものではない。人類全てに向けられたものだ。だから、解せない。特定の主人を持つ、という人形なら当たり前のように持ち合わせている普通の感情が。
「そもそも大事だとか、大事じゃないとか、そういう括りの話じゃない」
「……というと?」
煙草を指の間に挟み、白い煙を吐き出しながら、コジローは重々しく口を開いた。
「俺たちにとって持ち主は……。――お嬢は、俺の全てだ。お嬢がいるから、俺達はここにいる事が出来る。体を貰って、自我を貰って、愛情まで貰って。俺達は今まで貰ってばかりだった。……だから、お嬢が愛してくれた分だけ。いや、それ以上に愛する義務がある。……人間界での「生」以上に、幸せにしてやる義務が」
しばしの間、沈黙が二人の間を満たす。
「聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなことを、真顔で言うのはやめろ。気持ち悪い」
「じゃあ聞くな」
サングラスを深くかけ直し、吐き棄てる。
ベンからすれば狂気的なまでに、盲信的な愛情。
それが、コジロー達「普通の人形」を突き動かしている、いたって平凡な感情の正体だった。
「なぁ」
コジローが視線を上げる。
反対にベントゥーラは上げていた視線を手元へと戻し、コジローにこんなことを問うた。
「もしも持ち主に、「お前なんていらない」って言われたら、お前はどうするんだ?」
男の動きが止まる。考えたことがない訳ではないのだろう。
煙草の灰が、虚しく地面に落下した。
どれだけ互いを慈しんでいようとも、永遠に続くものなんてありはしない。
人形が主人に飽きることはないかもしれないが、持ち主の方はどうだろうか。
重すぎる愛情に潰れてしまった人間を、今までベントゥーラは嫌という程見てきている。
人間の一生は、短いと言っても百年近くある。その中で、人形達との時を過ごすのは、長くても二十年が関の山といったところだ。
大人になるにつれ、普通は忘れていってしまうのだ。そんなこともあったなぁと、時折思い出すことがあったとしても、常に主人は人形のことを考えている訳ではない。
社会に出て結婚し、子供を産み、孫を設け、人形達のことなど、いつかは忘れてしまう。幼少期の綺麗な思い出の中に、置いていかれてしまう。
死後、人形の世界にやってきた人間の全てが、人形達の想いを好意的に捉えてくれる訳でもない。何年も何十年も、主人と懐石できる日を夢見ていた人形達に突きつけられる現実は、そう甘くはない。
それを考えれば、若くして死んでくれた方が人形としてはありがたいのだ。
若く、まだ人形達との記憶が色鮮やかなうちに。
記憶の奥底に沈められてしまう前に。
その点、コジローは幸運な部類に入る。医療技術が目覚ましい進歩を遂げる現代の日本において、十代のうちに亡くなるというのは確率から言うとかなり低い話だ。
だが、若くして亡くなっても、人間の中から人間界を恋しく思う気持ちがなくなる訳じゃない。長い時を一緒に過ごしているうちに、人形達の愛が負担になってしまう人間が少なからずいるのも、また事実。
「間違っても、幽霊(ゴースト)にだけはなってくれるなよ」
視線を、背後のダンボールへと向ける。山のように積まれた、写真付きの書類達。
「亡霊(ゴースト)」。
主人に不要だと告げられた人形達の末路。その怨念の権化。
人と人形が存在する限り、永遠に消えることのない負の存在。
「……友達を殺すのは、ごめんだからな」
「そうだな。もしもの時は、自分で頭を撃ち抜いて死ぬことにする」
「亡霊にはならない」と約束しないあたりがコジローらしい。
「それは結構なこったね。……ほら、出来たぞ」
「いつも助かる」
「いいってことよ。……ああ、そうだ。お前に少し依頼したいことがあってな」
事務机から書類を取り出すついでに、葉巻を口にくわえる。差し出された分厚い紙の束に、受け取った拳銃をスーツの内ポケットに収めながら、コジローはあからさまに眉をしかめた。
「……公爵(デューク)か」
王(キング)を除けば、最上位に位置する亡霊(ゴースト)。強力なだけに絶対的な個体数は少ないが、理性を持たない下位とは違い、彼らは亡霊となる前の人格を持っているだけに扱いが面倒だ。
伯爵(アール)以上が持つ、自分より下位の亡霊(ゴースト)を操る力を持つのはもちろん、公爵ともなれば、太陽の光のもと活動することも容易い。
紅蓮の炎を自在に隠し、街の中に混ざることも可能。
見かけ上は普通の人形と何ら変わらない。
しかし、攻撃力も強暴性も、並の亡霊(ゴースト)を軽く凌駕する危険性を持っている。退治する側からすれば、これ以上ないほどに面倒な相手だった。
「ここら一帯で、今月中に既に五件の被害報告が上がってる。どれも人形ではなく人間を狙った犯行だそうだ」
二色の煙が、青い光の中混じり合う。
「行方不明になった持ち主たちは、未だ戻ってきていない……と」
「あんまり、いい兆候じゃねぇよな」
「むしろ最悪だ」
目撃情報の欄を探し、駆け足気味にページをめくり上げていく。
「被害者の人形の証言によると、かなり年代物の日本人形だったらしい。……なんていうんだっけな、ああいうの」
「市松人形」
「そう、それだ。……で、最大の特徴が」
「「仮面」……か」
書かれた「仮面」の文字を指でなぞる。
右目一帯を、黒の仮面で覆い隠した赤い着物の女。
どうも、とてつもなく嫌な予感がする。
表から盛大な爆発音がしたのは、そのわずか五秒後の事だった。
「あぁぁぁ!! 俺の店がぁぁ!!」
「お嬢!」
椅子から立ち上がったのはほぼ同時。頭を抱え絶叫するベントゥーラには見向きもせず、コジローは胸元に仕舞い込んだ拳銃に指を掛け、大急ぎで店の方へと向かった。呼び掛けても、反応はない。
青を凌駕する赤い炎に包まれた店の中、一人の女が立っていた。花びらのように散る赤色、その中央。紅の着物に、足元まである長い髪。そして、右目を覆い隠す金縁の黒い仮面。調査書と完全に一致する。
「……公爵(デューク)か」
「ピンポーン。大当たり」
血のような唇をした白い肌の女が、ぐったりと気を失った胡蝶を胸に抱き、口角を挑発的に吊り上げる。
舌打ちをこぼす。炎が渦を巻く。
放たれた弾丸は赤色の壁に阻まれ、亡霊に届くことなく虚しく地面に落ちるだけだった。天井に届かんばかりに勢いを増した炎が女の体を包み込んでいく。
「じゃあね、おバカさん達」
炎に完全に包まれる間際にそんな言葉を残し、女は跡形もなく姿を消した。胡蝶と、共に。残されたのは置き去りの人形と、赤い炎の海。
「ぼさっとしてねぇで、消化活動を手伝ってはもらえませんかねぇ!! 騎士(キャバリアー)殿!!」
その場に立ちすくみ、きつく手のひらを握りしめているだけだったコジローに、我を取り戻し、重火器を両手に担いだベントゥーラが皮肉気な喝を入れる。
コジローが振り返ると同時に、持っていたバズーカの一つを渡される。
「苛立ってるのは分かるが、「人助け」もお前の重要な仕事だろうが」
受け取ると同時に、ベントゥーラの巨大な銃口が火を吹く。巨大な青い炎が、赤を塗り替えていく。赤は次第に勢力を衰えさせ、やがては完全に青に染められた。役目を終えた炎は徐々に小さくなり、赤を道連れに姿を消していく。
「報酬は弾むぞ」
再度弾を発射したベントゥーラに習い、コジローも担ぎ上げたバズーカの引き金を引く。
「そうだな」
打ち終わった銃身を杖のように地面に置き、コジローは口角をわざとらしく釣り上げた。
「……派手なヤツを頼む」
完全に、瞳孔が開ききっていた。
こいつだけは絶対に敵に回したくねぇなぁと、頷きながら、ベントゥーラは残弾を投げやりに打ち込んでいった。
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