アフタードールズ

14.歌姫の招待状



「つまりお前は「四体持ち」だったと、そういう訳か」

 二つ並べた長机を挟んだ向かいの席に座るロップが、呆れがちに息を吐く。現在、朝食を摂った居間には端からマリア、コジロー、クロ。その反対側に胡蝶、紬、ロップと腰掛けており、レンブラントはここにはいない。本人曰く、「部外者は大人しくしておく」とのことらしく、マリアの後を付けて来たものがいないか、表に出て警備をしてくれている状態だ。

「しかもその人形の中には、歌姫であるマリアも含まれている、と」

 低い声が淡々と事実を羅列していく。

「そういうことでいいんだな」
 紬越しに睨みつけられる。小さく頷いてから、胡蝶は視線を再び前に戻した。
 クロは呑気に出された緑茶を啜っている。そのメンタルの強さをこちらに分けて欲しいものだ。

「それで、何の用件でここに? 」
「ああ、そうだった。……私はこれを届けに来たの」

 レンブラントが持っていた鞄の中から見覚えのある紙袋を取り出し、マリアはそっと胡蝶に差し出した。封を開けていく胡蝶を、マリア以外の全員が興味津々に覗き込んでいる。

「これって」
「そ。……はぐれたっきり、渡しそびれちゃったから。……本当にごめんなさいね。怖かったでしょう……? 」

 中に入っていたのは胡蝶の想像通り、あの日置き去りにしてしまった制服一式だった。懐かしい香りが鼻をかすめる。

「私の方こそ、帽子とメガネを……。それに、せっかく用意してくれたワンピースも汚しちゃって。待ってて。せめて帽子とメガネだけでも」

 渡された紙袋を胸に抱きながら、下を向く。急いで帽子とメガネを取りに行こうと立ち上がった胡蝶に、マリアは静かに首を横に振った。そうして胸元に取り付けられた金色の蝶のブローチに手を当て、穏やかにえむ。

「ああ、あれは胡蝶にあげるわよ。そうね、昔あなたにもらった、このブローチのお礼だとでも思って頂戴。私は胡蝶が元気でいてくれるのなら、それだけで幸せなんだから」

「……ねぇ、今まで黙って聞いてたけどさ」

 茶を啜っていたクロが、不服気にマリアを睨みつける。

「皆ばっかりずるくない? クリスやコジローさんはともかく、僕より新入りのマリアだって胡蝶とデートしちゃってさ。挙げ句の果てに、全然知らない赤の他人のところに居候でしょ? うわ、僕超可愛そうじゃん。こんなのって不公平だよ」

「クロ」

 静かなコジローの叱咤が飛ぶ。チェッ、とあからさまな舌打ちをこぼし、クロは後ろ向きに倒れこんだ。寝っ転がるような形のクロの態度は、顔も知らない遠縁の親戚の葬式に、親に無理矢理出席を義務付けられた幼子のそれと酷似していた。今回は、つまみも寿司もないので、さらに退屈だろう。

「その……紬さんとロップさん、でしたよね。朝早くにお邪魔して、本当にご迷惑をおかけしました」

 息子の非礼を詫びる母のように、マリアが頭を下げる。

「いいえ、とんでもない。また、いつでも気軽に遊びに来てください。ロップもいいでしょう?」
「……私はもう御免だ」
「もう。そんなこと言わないでよぉ」

 二人の反応はバラバラだ。頬を膨らませそっぽを向いてしまった人形を、紬は困った顔をしながらつついている。

「それで……お詫びと言ったらなんですが、良かったら」

 そう言ってマリアが鞄から取り出したのは、あの日見たコンサートのチケットだった。
 差し出されたチケットは四枚。

「胡蝶も良かったら来て頂戴。そこの木偶の坊も……まぁ、盾くらいにはなるでしょうから」
「悪かったな、役立たずで」

 それまで頬杖を付き、黙っていたコジローが眉をしかめる。

「あら、そこまではっきりとは言ってないじゃない」

 有無を言わせぬ迫力のある笑みに、それ以上コジローは何も話さなかった。代わりとばかりに「おぉ、怖い」と漏らされたクロの呟きだけが、胡蝶の耳に飛び込んでくる。

「まぁそういう訳で、暇だったら皆で来て頂戴ね。……クロ、行くわよ」
「えぇ~、もう!?」

 立ち上がるマリアに、寝転がったままのクロが叫びをあげる。

「もう、じゃない。今から練習よ。忘れたとは言わせないわ」
「リハなんていいじゃん。それより僕だって胡蝶と遊びたい! 皆ばっかりずるいじゃん!」
「うわっ」

 タックルするように抱きついてきたクロに、思わずつぶれたカエルのような声を出してしまう。コジローやマリアに比べればかなり小柄ではあるが、小学校高学年の程度の少年に全力でぶつかられれば、変な声の一つや二つ出るというものだ。

「お前の気持ちは分からないでもないが、マリアのバンドの助っ人も、大事な仕事だろう」

 的確なコジローの発言が、クロの心に突き刺さる。しばし胡蝶の腕に顔を埋めたのち、

「分かったよ。行けばいいんだろ、行けば」

 そう、名残惜しげの胡蝶を見てから、拗ねたように立ち上がった。
 マリアが変装のためにサングラスと帽子を被っている間も、クロの不機嫌は収まらなかった。ずっと頰を膨らませ、誰の言葉にも耳を貸そうとはしない。

「ねぇ、マリア」
「うん?」

 靴を履き、あとはシャッターをあげて去るだけとタイミングを狙って、胡蝶はマリアに燻っていた疑問をぶつけてみることにした。
「私を、連れて行かないの……?」

 ウェリントングラス越しの目が、数度瞬(しばた)かれた後、半月型に細められる。

「……何? 私があなたを連れ戻しに来たと思ったの?」

 小さく頷いた胡蝶に、マリアは声を上げて笑った。

「そんなことしないわよ。あの馬鹿狐じゃあるまいし。……胡蝶が誰とどこで過ごすかは、私たちが決めることじゃないわ。胡蝶自身が決めることよ。だってそんなの、ただの身勝手じゃない」

「人形(ぼくたち)が一番に願うのは、ご主人様(こちょう)の幸せだ。胡蝶がそうしたいと望むのなら、僕達に引き止める権利はない」

 ふてくされていたクロが割って入ってくる。

「あ、でも安心して。もしも下した選択が胡蝶自身を不幸にするものだとしたら、僕達は全力で引き止めるから! それこそ足の骨を折ってでも――」
「怖いこと言うんじゃないの!」

 マリアの拳がクロの頭頂部を殴りつける。頭を押さえ、クロはしばし、しゃがみ込んだまま悶絶していた。

「そういう訳で、胡蝶が居たいのなら、私たちはそれを見守るだけよ。クリスは、ちょっと過激なところがあるから」
「悪気がないのが余計怖いよねぇ。ネジが飛んでるっていうかなんというか。まあ、気持ちは分からなくはないけどさ」

 立ち直ったクロが、頭を撫でさすりながら渋い顔をする。
 クロの言い分は分からないでもない。胡蝶自身、彼の心理は今ひとつ理解できずにいるのだ。自分の人形の心すらもまともに把握できていないとは、なんとも情けない話だ。
 しーっ、と。
 困り顔のまま、マリアは自身の口元に指を当て身を屈めた。

「今の話、クリスには内緒ね。あの人、怒らせると面倒なんだから」

 既に怒らせた後だ、とは到底言い出せない。その上ビンタまで食らわせてしまった。これ以上怒らせないうちに帰ったほうが賢明なのだろうが、あの男の側に進んで居たいとは思えなかった。
 それよりもこの家で、紬たちを手伝いながら平和に暮らしていくほうが、よっぽど平和だと思えた。

「……でも、クリスを誤解しないであげてね」

 胡蝶の頬に手を伸ばし、マリアは儚気に笑う。

「あの人が胡蝶を大事に思っている気持ちは、まちがいなく本物よ。だから、もしも今度クリスが訪ねてきたのなら、その時は、優しくしてあげてちょうだいね。約束よ」

 こくりと頷けば、マリアは名残惜し気に腕を退けていく。
 離れていく白い腕を見ながら、無性に寂しいという気持ちを覚えた。
 去っていく三人の背を見送りながら、胡蝶は何かに背を押されるようにして声をあげていた。

「クロ」

 去ろうとするクロの背に声をかける。振り返った顔は、相変わらず不服げだが

「コンサートが終わったら、一緒に出かけてくれる?」
「……うん! 」

 胡蝶の会話の内容を理解した途端。
 皮肉気な顔は何処へやら、年相応の笑みを浮かべ、元気のいい返事を返した。
 三人が去ると、途端古谷裁縫店には静寂が訪れる。

「やれやれ、面倒な奴らを抱え込んだものだ」

 鼻息を荒くしたロップが、乱雑にシャッターを持ち上げた。空にはまだ群青が広がっている。マリアから渡されたチケットを強く握りしめ、胡蝶は背後の紬とコジローを伺い見た。

「その、コンサートに行っても……」
「私は行かんぞ」

 シャッターを押し上げたロップが唾を吐く。薄桃色のローファーがわざとらしい靴音を立てていた。

「ロップが行かないなら、私もやめておくわ。お店を任せきりにする訳にも行かないし」

 コジローを見上げると、音を立てて視線がかち合った。一瞬コジローは呆気に取られていたが、すぐに表情に柔らかさが加味されていく。

「お嬢が、行きたいのなら」

 黒い目を細め、微笑む。
 胸中のチケットを握りしめ、胡蝶は強く頷いた。
 また一つ増えた夢に、暖かくなる胸を自覚しながら。

-Powered by HTML DWARF-