アフタードールズ

13.犬猿の仲


 翌朝、朝食の席に姿を現したコジローは、完治とまではいかないが、幾分回復の兆しを見せていた。人間なら永遠に体の一部を失うような怪我だとしても、昨日の今日でよろけながらでも歩けるようになるというのだから、人形の回復力の早さには感服するばかりである。

 一方、胡蝶の膝はまだ痛む。恐る恐る人目のないところで確認してみれば、打撲痕が微かに赤紫色になっていた。軽く内出血を起こしてしまっているらしい。
 この程度の怪我でも、一日二日では治りはしない。人形とは根本的に身体の造りが違うのだから当然なのだが、少し気が滅入る。あとで紬に、人間用の薬を売っている店を聞いておいたほうがいいのかもしれない。もっとも、人形だらけのこの世界で、人間向きの店があるとも思えないのだが。

「いくら歩けるようになったからといって、最低三日は仕事を休むように。分かってるんだろうな。一応、お前は死にかけたんだぞ」
「そうだな」

 今朝の朝食は、昨日胡蝶が最初に連れてこられたあの部屋だった。そこに大きめの座卓を広げ、四人仲良く、というわけではないが座布団の上に正座し、ロップの作った焼き魚をつつく。食い損なったサンマではなく、焼き鮭だったが、程よい辛さに白米を食べる腕が進む。

「どうせなら利き腕を怪我すればよかったんだ。そうすれば、働きたいだなんて意志も生まれなかっただろうに」

 箸の先をコジローに向け、ロップが険しい顔をする。

「余計なお世話だ」

 対する出勤前の会社員のような格好をした男は、全く意に介さない。無遠慮に米を貪っては、紬におかわりを要求している。

「お前に言われなくても分かっている。……古谷、おかわり」
「はいはーい。あ、胡蝶ちゃんもおかわりする?」
「……大丈夫です」
「全く。……お前もこいつを見習って、もう少し謙虚になったらどうなんだ?」

 再び山盛りに米が盛られた椀を受け取ったコジローの動きが一瞬止まる。伺うようにこちらにそっと向けられた鋭い眼光に、胡蝶は乾いた笑みを浮かべた。何も言わないのをいいことに、コジオーは再び咀嚼を始める。この家の食費が心配になってくるほどに、コジローは食べていた。
 クリスとマリアの時も思ったが、人形たちが当たり前のように食事をしているというのは、どうも変な気分だ。体の中に綿が詰まっているのを確かに確認したし、食べたものを一体どこで消化しているのか。
 ちら、とロップを覗き見る。彼女の食事量は、胡蝶や紬とあまり変わらない。むしろ少食の部類に入る。
 クリスもマリアも一般的な成人のそれと同じ分量程度しか食べていなかったし、コジローだけが異様に大飯食らいだった。人形にも、それぞれ個体差があるらいしい。人間と同じだ。

「そういえば、ロップは何の人形なんですか? 」

 隣に座る紬を見上げれば、ちょうど胡蝶の反対側に座るコジローが口を開いた。

「ロップイヤーラビット」
「ロップイヤー……」

 思わず、まじまじと斜め前に座るロップの顔を見てしまう。言われてみれば、表情や格好は可愛らしいし、垂れ耳うさぎと言われればそうなのだろう。名前だって「ロップ」というくらいだし、よくよく考えればわかりそうなものなのだが。
 しかし、「うさぎ」というにはあまりにも――

「何だ。その、怪訝な顔は」
「まぁ、性格が男前だものねぇ」

 頰に手を当て、呑気な顔で紬が笑う。

 頰を膨らませ黙り込むロップは純粋に愛らしい。黙っていれば天使のような外見をしているのに、口を開けば歴戦の武者のような堅苦しい言葉が飛び出してくる。

「お前、信じていないな」
「え、いや。信じてない訳じゃ……」

 別に信じていない訳ではない。何をどう間違えれば、こんな性格になるんだろうと思っただけで。

「そうねぇ、いっその事見せてあげれば?」
 紬の提案に、ロップがしばし下を向く。次に瞬きを終えた時、胡蝶の目の前からロップの姿は消えていた。

「どうだ、これで信じただろう」

 声は胡蝶の足元から聞こえた。桃色のウサギの人形がそこにはいた。長い耳を地面にずるずると引きずらせながら歩く二頭身の人形が、寸胴(ずんどう)に手を当て自慢げな顔をしている。胸元に縫い付けられた赤いリボンがロップが動く度、柔らかく跳ねた。
 彼女がウサギの人形であることはよく分かったが、何をどうしたら中身がこうなるのか、ますます疑問が増すだけだった。

「見た目だけならマシなのにな。……見た目だけなら」

 すっかり空っぽになった茶碗をテーブルに置きながら、コジローが嘲笑を浮かべる。

「黙れ駄犬」
「犬じゃない。俺は狼だ」

 大男とピンクのロップイヤーが睨み合う絵面は、なかなかにシュールだった。

「そう怒らないの。ほら、いらっしゃい」

 紬がロップに向かって、小さく両手を広げる。コジローと紬を交互に窺い見、最終的にロップは紬の腕の中に収まることを選んだ。
 小さな兎は主人の腕の中、少しつり上がった目を細めて、満足気に微笑んでいるように見えた。 

 食事を終えた後、食器の片付けを手伝いながら、胡蝶は再び人間の姿に戻ったロップを盗み見ていた。ロップは無言で台を拭いている。こうして、大人しく家事を行っていれば、儚げな美少女に見えるというのに、実際のロップにそんなものは皆無だ。

「あの子があんな風になっちゃったのは、多分私のせいなの」

 水道の音をBGMに、着物姿の少女はそんなことを口走った。今日の着物は、新緑の葉を思わせる緑だった。食器を拭く腕が無意識に止まった。

「私はここに来てもう五年になるけれど、人形の世界に来る前は、こんな風に自由に動くことは出来なくて、ずっとベッドの上にいたの」

 括られた長い黒髪が揺れる。食器を洗う腕を、紬は止めなかった。

「学校にもなかなか行けなくて、ロップだけが友達で、いつも編み物をしていて……。病院の窓から、ずっと公園を眺めてた。……だから、こう思ったの」

 初めて、紬の顔から笑みが消えた。それでも、食器を洗う腕を止めることはない。カチャカチャと、陶器の擦れる音がした。

「もしも生まれ変われるなら、もっと逞しくて、強い女の子になりたいなって」

 胡蝶に濡れた茶碗を差し出した顔には、いつもの微笑みが戻っていた。そっと彼女の腕から茶碗を受け取り、無言で水分を拭っていく。

「……その理想が、多分あの子に反映されちゃったのね。ロップだってもしかしたら、見た目相応の可愛い女の子になりたかったかもしれないのに。……悪いことをしちゃった」
「……そんな事ないと思います」

 人形達は主人の事を本当に何よりも愛しているのだ。それは、マリアやクリスを見ていてもわかる。勿論、コジローだって胡蝶を大切にしてくれている。
 ロップが嫌々あの性格を演じているとも思えない。彼女は紬の理想像であることを喜んでいる。ロップが紬を愛していることなど胡蝶にだって分かる。それに――

「ロップは、十分可愛いです。ご主人様のためにカッコよくあろうとするなんて、とっても……可愛いじゃないですか」

 これ以上に健気で可愛い人形がいるだろうか。例え、彼女が金髪の美少女でなくとも、ロリータファッションを纏っていなくとも、胡蝶にはその魂のあり方自体が美しく、気高く、最高に可愛らしいものだと思えた。

「そう言ってもらえると、とっても嬉しい。……ロップにも聞かせてあげたいわ」
「何だ。私がどうかしたのか」

 丁度食卓の片付けを終えたロップが、厨房へと足を踏み入れてくる。胡蝶と紬は二人して顔を見合わせ、声をあげて笑った。

「そうねぇ。ただ、ロップは可愛いなぁって話をしていただけよ」
「は?」

 あからさまに顔をしかめたロップに、二人は揃って吹き出した。

 片付けを終え紬とロップと共に居間に戻ると、コジローが縁側に腰掛けていた。額の巻かれた腕を垂らし、片腕で器用に煙草を吸っている。どうも路地裏に落ちていた吸い殻は、彼のものだったらしい。天高く、白い靄が上がっていく。
 動く人形が、煙草を吸っている。それだけ聞くと、不釣り合いにもほどがあるが、煙草を吸う男の格好は、出勤前、もしくは帰宅直後のサラリーマン。それか、仕事を終えた麻薬の売人のそれだった。
 そういえば、かつて家を出て行ってしまった父も、煙草を吸っていた。それとよく似た、もしかすると同じ銘柄のものを吸っているのかもしれない。昔から家にいた彼には、きっと煙草の匂いが染み付いてしまっているのだろう。コジローからはいつも、柔軟剤に混じって微かに煙草の香りがする。
 コジローの背に、微かに父の面影を見た気がした。
 二人は特にコジローの所作を気に留める素振りがない。これが仕事をしていない時の、いつも通りのコジローの姿なのかもしれない。
 店の方へと歩いていく二人に付き従う。見学したいという胡蝶を、二人は拒まなかった。それが、胡蝶にとっては非常にありがたかった。

「……すみません」

 店を開けるとすぐに、一人の男性が戸を開けた。

「腕が、破れてしまって……」

 そう言って右腕の袖をめくりあげれば、むき出しになった綿が目に入る。人間の姿をしている時でも、やはり、中に詰まっているものは綿らしい。

「どこかに引っ掛けたのか? 」

 真っ先に客の元へ向かったのはロップだった。紬は胡蝶と同じ位置から、少し遠巻きにロップを見守っている。

「はい……。仕事の最中に、うっかりしていて」
「気をつけろよ。そうだな……。これなら縫い合わせるだけで済みそうだ。……紬、針と糸を」
「はぁーい」

 店の隅に置かれていた裁縫箱をロップに渡し、紬は再び胡蝶の元へ戻ってきた。
 そうこうするうちに、ロップは手早く仕事に取りかかっている。一瞬で針に糸を通し、縫い上げながら、他愛のない世間話を繰り広げる。縫われている男の方も、全く痛みを感じていないようだった。

「ほら、出来たぞ。……大事にな」
「ありがとうございます!」

 そう言うと、男は持っていた鞄から大きめの包みを取りだした。

「治療費は、これで」

 ロップがゆっくりと新聞紙を開いていく。中に入っていたのは、瑞々しいトウモロコシだった。

「これは、なかなかに上物だな。いいのか? 大したことはしていないが」
「いいえ! こちらの裁縫店には常々感謝していますから!」 
「そうか、なら受け取っておこう」

 ちらり、と男の目が壁際の胡蝶と紬に向けられる。会釈を返した紬に習い、胡蝶も一つ例をすれば、男は瞳を細め、柔らかく微笑んだ。コジローだけでなく、ここは常日頃から病院として機能しているらしい。ロップは人形専門の医者、といったところだろうか。

「胡蝶」

 急に名を呼ばれ驚く。

「こいつを厨房に」

 こいつ、と掲げれらたトウモロコシを受け取り、胡蝶は駆け足気味に厨房へと向かった。通り道、ちらりと縁側を見たが、もうコジローはいなかった。裏から階段を登り、おそらく上に帰ってしまったのだろう。
 再び胡蝶が裁縫店に戻ると、接客するロップのはるか後ろで、紬は正座し、何やら雑誌を吟味していた。

「何をしてるんですか?」 
「うん? ああ、これ? 次に作る服の参考にしようと思って」

 紬の隣に正座し、彼女の手の中にあるものを覗き見る。紙の上で、ロップの纏うものとよく似たワンピースを纏った少女達が、楽しそうに笑っている。

「もしかして、ロップの服って」

 小さく目を見開く胡蝶に、紬は肩をすくめはにかんで見せた。黒髪がはらりと揺れる。

「……このお店にある服は、基本的に全部私が作ってるの。……まだまだ勉強中の身だし、人形の修理なんて大それたことはできないけれど」
「十分すごいです! じゃあ、私が今着ているこの服も」

 顔を俯かせ小さく笑む少女に、胡蝶は簡単の息を吐いた。昔、胡蝶もマリアに対して服を作ってやったことがあるが、ほつれだらけで、到底見せられるようなものではなかった。小さかった胡蝶はそれで満足していたが、大きくなってみれば、とても見せられるような代物ではないと分かる。今でも、胡蝶はそこまで裁縫は上手くはない。絶望的ではないが、せいぜい制服のほつれを直したり、取れたボタンをつけ直すのが関の山。
 それに比べ、紬は本物だ。あんなにも凝った服、胡蝶には作れる自信がない。ロップの服だけでなく、この店にある服も作っているということは、和洋全てに対応しているということになる。

「あ、これとかいいと思わない?」

 そう言って指差されたものは、目眩がしそうなほどにレースがふんだんにあしらわれた、薄水色のワンピースだった。

「可愛いと思います」
「でしょう!? よし、決ーめた」

 パタンと雑誌を閉じ、紬はそれを乱雑に部屋の隅に追いやった。だが次の瞬間には小さく溜息を吐き、伺うようにロップの後ろ姿を眺める。

「矛盾してるわよね。……かっこいい人になってほしいって思う一方で、ロップを可愛く着飾ってあげたいって思うなんて」

 紬の視線の先を追えば、次にやってきた患者を見ている頼もしい横顔が目に入る。少なくとも胡蝶の目には、彼女が不満を抱いているようには見えなかった。それどころか、キラキラと輝いている。ロリータ服の少女は与えられた生を、精一杯楽しんでいた。

「いいじゃないですか、矛盾していたって」

 きょとんと瞳を見開いた紬に、胡蝶は歯を見せ笑った。

「二人が楽しいなら、それがきっと、正しいんですよ」
「そうね。……なんだかごめんなさい。久しぶりに人間に会うと、どうも感傷的になってしまって」
「いいえ、私の方こそ、紬さんにはお世話になってばかりですから」

 その時不意に、視界の端に広がった雑誌の一部が映った。そっとそれを手繰り寄せ、まじまじと眺める。

「これって……」

 洒落たデザインの雑誌のロゴの下、優雅に微笑む女性が写っていた。少しカールのかかった金色の髪に、薄桃色の目。長く伸びたまつげが、彼女の色香を更に際立てている。

「……マリア」

 紬が少し驚いたような顔をする。

「あら、知ってるの? すごいわよねぇ、マリアさん。人形たちから絶大な人気で……」

 とても、自分の人形ですとは言い出せなくなってしまった。二体の人形がいるというだけで驚かれたのに、それこそ「実は四体なんです。しかもそのうちの一人はスターのマリアなんです」などと言ったら、心筋梗塞を起こして倒れられそうだ。

「マリアといえば、なんでも今週末にコンサートを開くらしいな」

 ひとまずの接客を終えたロップが、胡蝶たちの方を向く。彼女は他の人形ほど、マリアを神聖視をしていないようだ。テレビの中の、自分たちとは全く関係ない話として認識しているような、そんな節があった。

「あら、そうなの? となると、また忙しくなるわねぇ」
「ああ、稼ぎ時だな」

 マリアのことよりも、それに付随してやってくる売り上げ、もとい献上品のほうが彼女たちには大切らしい。紬とロップらしい考えだった。

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