アフタードールズ

11.なるようになるさ


 行く当てもなく、勢いだけで帰る場所をなくしてしまった胡蝶を、紬とロップは嫌な顔一つせず快く迎え入れてくれた。居候が一人でも二人でも似たようなものだから気にするな、とのことらしい。コジローは未だ目を覚まさず、狼の人形は気持ちよさそうに青の光に照らされ、部屋の隅で眠りについている。

 紬自ら作ってくれた肉じゃがをありがたく貪っている間、ロップと紬はこの世界のことについて懇切丁寧に胡蝶に享受した。
 夜になれば、観覧車を囲むように作られたこの街は、二つの赤い月と濃霧に包まれる。月が二つある、というだけでも異常だと思ったが、その上赤色をしているときている。これではまるで地獄、クリスの冗談が現実となったような気がした。

「まぁ、それもあながち間違ってはいないがな。人間にとって、ここは人間界での生を終えてから訪れる世界だ。となれば、お前達の世界の価値観で表現するなら、ここは「あの世」だとか「天国」とか「地獄」、に当たるんだろう」

 というのはロップの台詞だ。

 胡蝶を襲った存在は「亡霊(ゴースト)」というらしく、個体により強さもバラバラなのだそうだ。
 強さの順に、人間の世界の貴族の称号で呼ばれており、上から順に「公爵(デューク)」「侯爵(マーキス)」「伯爵(アール)」「子爵(ヴァイカウント)」「男爵(バロン)」。そしてその頂点には「王(キング)」と呼ばれている強大なゴーストが君臨している。

 彼らは愛されなかった人形達の怨念。負の感情の権化。亡霊は自分だけの主人を渇望し、愛された人形への恨みを糧に憎しみの炎を迸らせている。だから、彼らは動くことをやめない。自分だけを見てくれる理想の主人を見つけるまで、愛された人形全てを焼き尽くすまでは。通り魔のように人形を殺めていく存在が街を闊歩していては、安心して眠ることもできない。

 だから、人形たちも考えた。
 自分の主人を奪われてしまわないように、自分が燃やされてしまわないために、胡蝶の世界でいう警察のような存在を求めたのだ。
 そうして生まれたのが「騎士(キャバリアー)」。よく言えば、ボディーガード。悪く言えば「亡霊(ゴースト)」専門の殺し屋。それが、コジローの職業。
 元は自分たちと同じ存在だったものを殺めるキャバリアーを嫌う人形も多いのだという。もちろん、大多数の人間、人形達は武器を持ち戦う彼らを好意的に捉えているらしいが、全てのものに愛されるものなど、存在しない。そんなものがあるとするなら、それこそ気味が悪い。

 食事を終えても、コジローが目を覚ます気配はなかった。胡蝶が紬と共に食器洗いを終え戻ってくると、部屋の隅に寝かされているコジローを、ロップが心配そうに覗き込んでいた。
 人形にこう言ってはなんだが、息はしているようなので死んではいないのだろう。怪我を抜きにしても相当疲れているようだったし、明日になればきっと目を覚ますだろう、ということでその場は収まった。

「でも、このままここに寝かせておく訳にもいかないしねぇ……。ロップ、お願いできる?」
「分かった」

 外に階段がついているので分からなかったが、中からも二回に上がれる仕組みになっているらしく、ロップが廊下の天井に付けられた一枚の天板を開けると、屋根裏へ入るために取り付けれられた簡易的な梯子のようなものが姿を現した。

「普段は使わないんだけど、緊急用にね。いざって時上に行きたくても、夜になってからわざわざ外に行くのは危ないじゃない」

 慄く胡蝶に、青い蝋燭を持った紬は呑気に微笑んだ。その間に、コジローを小脇に抱えたロップは梯子を登りきっていた。上からドタドタと、大股に歩く足音が聞こえてくる。

「胡蝶ちゃんも上がってみる?」

 そわそわしているのが伝わってしまったらしい。確かに、コジローの様子は気になる。おそらく亡霊(ゴースト)に襲われたから、あんなことになってしまったのだろうが、見慣れた狼の人形がボロボロの状態で息も絶え絶えになっているのを見るのは、理由が分かっていようともかなり心が傷む。
 それに、まだきちんと会話できていない。彼が言葉を発したのは、あの一度きり。
 「お嬢」と、風前の灯だった男はそれだけを言い残したきり。
 それから、一度もちゃんと話せていない。

「あの、目を覚ますまで側にいても……?」

 落ち着きを取り戻せば、余裕が生まれた。純粋に、コジローと話がしたかった。人形たちの誰よりも長い年月を共にしてきた、ボロの狼。彼がどんな男なのか、胡蝶の設定の中にあるコジローについては知り尽くしていても、今ここにる一人の男の人格のことは、何一つ知らなかった。
 紬が頷くのと、ロップが降りてくるのはほぼ同時だった。入れ替わるような形で胡蝶が二階へと上がる。

「梯子は下ろしたままにしておくから、寂しくなったり、何かあったりすれば、いつでも降りてきて頂戴ね」

 階下の紬に小さくうなずき、胡蝶は奥へと進んでいった。きょろきょろと周囲を見回す。一階とはまた趣の異なった内装だった。下が純和風の武士の家だとするのならば、二階は古い民家、といった感じだ。
 胡蝶が現在立っているのは、二階の廊下。ロップが点けてくれたのか、廊下には青い灯火が点々と灯っているため、決して暗くはなかった。群青色の影が暗闇に浮かび上がった。青の中に漂う、硝煙とシガレットの香り。父が家で吸っていたものと、非常によく似た芳香だった。

 見えるところにある扉は、玄関を除けば四つ。どの部屋にコジローがいるのか分からない為、ひとまずは手前にある部屋を覗き見る。
 はずれ。ただの物置だった。乱雑にものが詰め込まれ、床には服が散乱している。掃除をする意思を全くもって感じなかった。思わず苦笑いがこぼれ出る。ここまであからさまにひどくはないが、まるで自分の部屋を見ているようだった。 
 投げ入れた新聞と鞄のことを思い出す。
 飼い主とペットは似る、という言葉があるが、どうやら持ち主と人間も似るものらしい。言われてみれば、紬とロップもどことなく似ている気がする。クリスとマリアには、今の所見当たらなかったが、もしかすると胡蝶と似ている部分があるのかもしれない。そういえば、クロはどうしているのだろうか。
 狼のコジロー、狐のクリストファー、着せ替え人形のマリア、そして黒うさぎのクロ。

 あと出会っていないのはクロだけとなってしまった。クリスと事実上の断絶状態にある今、クロと会うことはあるのだろうか。コジローとクリスの反りが合わないところを見ると、人形達は胡蝶の想定とは違う独自の関係性を持っているようだし、クロはどうしているだろうかと心配になってしまう。
 今はただ、「探偵」の仕事を無事にこなしていることを祈るばかりだ。

 手前から順に潰していこうと、閉ざされている残りの2枚の戸に先に手をかける。二部屋とも鍵がかかっており、中がどうなっているのかは分からなかった。となれば、残る部屋は一つだけ。
 ゆっくりと廊下を歩く度、暗い色をした床板の軋む音がする。ゆっくりと引き戸に手をかけ、押し開けていく。

 最初に目に付いたのは、乱雑に広がった雑誌や新聞の切り抜きの海だった。よく見れば足跡のようなものが残っており、先程ロップに踏み荒らされたのだろうことが伺い見れた。
 書面の海の奥に取り付けられた簡素なベッドの上、人形には些か大きすぎる人間用の褥(しとね)の上、小さな狼の人形が横たわっている。胡蝶の腕にすっぽり収まる、二頭身の狼が。

 なんだか、自分の小さい頃を思い出してしまう。ずっと昔、まだコジローしか人形がいなっかった、本当に小さな頃。歯を磨く前にコジローをベッドの真ん中に寝かせてやり、身支度を終え戻って来れば枕に頭を乗せた小さな友人が主人の床入りを待ってくれている。
 そういう風に演出したのは胡蝶自身だが、いつも仕方ないなぁ、と上から目線でコジローを眺めては、いそいそと床に入り、彼を胸に抱き眠っていた。

 そんな甘やかな思い出に水を差すように、男の部屋は質素なものだった。実際借り物の家なのだから、過度にものを置くことの方が非常識なのかもしれないし、男の一人暮らしというものは、そもそもこんなものなのかもしれない。

 中でも一際目を引くのが、スチール製の机の上に置かれた拳銃だった。生憎、武器の知識には疎いが、それでもこれが素人の触ってはいけないものなのだ、ということくらいは分かった。
 深呼吸してから、起こさぬよう、慎重にベッドへと近寄っていく。あと少しでコジローの額に触れられるという距離に来たところで、突然、閉ざされていた黒い目がはっきりと見開かれた。

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