アフタードールズ

1.少女の幻想世界

 ピンクの壁紙に、白いレースの付いたカーテン。ロココ調で統一された真っ白な家具達。

 ベッドを覆う純白の天蓋と、天井から吊るされた白い鳩のモビールが、白木の窓枠から吹き込むそよ風に揺れていた。

 その中央、ベルベットの絨毯の上。人形たちに囲まれ、一人の幼い少女が座り込んでいた。

 新興住宅街にある、少女が生まれたのとほぼ同時期に建てられた十五階建ての高層マンションの一室。
 モノトーンのガラステーブルや、ピカピカのグランドピアノ、ドイツ製の冷蔵庫が置かれたリビング。
 寝室に置かれたダークブラウンのクローゼットの中には、ブランド物のバッグやアクセサリーが山のように仕舞われている。
 ほとんどの家具が、部屋が、黒を基調としたアーバンスタイルを貫いているのに対し、彼女の部屋だけが悪趣味なまでに少女的だった。

 そんな違和感は知らないとばかりに、真っ赤なリボンで長い黒髪をツインテールにした少女は、声を弾ませ、一人の人形をそっと両手に握りしめる。最近少女の家族の仲間入りを果たしたばかりの、巷で流行りの着せ替え人形だ。

 カールのかかった金色の長い髪に、少女が自ら作ってやったちょこんと頭に載った小さいハット。帽子と揃いの黒のドレスが、さながら人形をステージ上の歌姫のように彩っていた。
 ただ、胸元に取り付けられた細い金属を編み込み作られた人形には不釣り合いな大きさの金色の蝶のブローチだけは、少女が母からお下がりで貰ったものだった。

「じゃあ、マリアはここね。……クロはそこで、クリスがあっち」

 歌うように人形たちを並べていく。マリアを座らせると、その隣にクロと呼ばれた真っ赤なベストを羽織った黒いうさぎのぬいぐるみを、そして今度は中央に人形一つ分の隙間を空け、茶色の狐の人形をを。


「あとは……」

 自分のすぐ隣に視線を下ろす。飛び込んできたのは見慣れた灰色の耳だった。
 他の人形たちより幾分ボロボロのそれを、少女は一層慎重に胸に抱く。
 柔軟剤の香りに混じって、わずかにヤニの臭いがした。
 機嫌の悪そうな鋭い目つきとは反対に、小さな狼は少女の腕の中満足げだ。
 クロとクリスの間に名残惜しげに狼の人形を座らせ、少女は口角を釣り上げる。
 ままごと用のちゃちなカップを手に取り、魔法の紅茶をポットから注いでいく。マリアはミルク多め、クロはきっかり角砂糖3つ、クリスはレモンティーが好き。狼の人形、コジローは紅茶が嫌いだ。彼はコーヒーのブラックが好き。
 少女の中の妄想は留まることを知らない。

「……特別だからね」

 そうバツの悪い顔で呟き、胡蝶は渋々コーヒーの入ったカップを差し出してやる。丁寧に人形達の前にティーカップを並べ終えると、最後に自分の分を高々と掲げ、少女はわざとらしく咳払いした。

「それでは、乾ぱーー」

「いつまでそんな事を言っているの!?」


 プラスチック特有の乾いた音を立て、少女の手から空のカップが虚しくこぼれ落ちた。

「仕方ないだろう! 僕にだって仕事があるんだ!」


「いつもいつも仕事仕事! あなたそればっかりじゃない!! ちょっとは胡蝶(こちょう)の事かまってあげたらどうなの!?」


 自分の名前が母親の口から出た瞬間、胡蝶は一生懸命並べていた玩具のティーセットを投げ捨てるようにして、乱雑にベッドの下へと押しやっていた。
 両手で4体の人形を腕の中に掻き集め、逃げるようにベッドに上がり込み、頭からすっかり布団の中に身を潜める。

「君こそ胡蝶を放ったらかしにしているだろう!! いつもいつも人形なんかと遊んでばかり! 君がかまってやっていないせいだろう!!」


「あなたろくに世話もしてないくせに私が悪いって言うの!?」

「僕はただ事実を言っているんだ!!」


 マリアはミルク多め、クロはきっかり角砂糖3つ、クリスはレモンティー、コジローはコーヒーのブラックが好き。

 強く腕の中の人形たちを抱きしめ、胡蝶はただぎゅっと目をつぶっていた。

 僅かに開いた白い扉の隙間から、微かに煙草の香りがする。

 マリアは歌姫、クロは探偵、クリスは王子様。一層、強く胸に人形たちを抱いた。
みんな大切な友達だ。そんな風に悪口を言うのはやめて欲しい。それで、どこまで考えたんだっけ? ああ、そうだった。コジローは、騎士だ。
 ずっと昔から、本当に小さい時から誰よりも胡蝶の側にいてくれた大切なお友達。嬉しい時も悲しい時も、いつも一緒にいてくれた。
 こうやって布団にくるまっていれば両親の喧嘩なんてすぐに終わる。だって、私は一人じゃない。
 目を閉じれば、いつだって皆がいる。
 大事な友達、相棒、一緒に育ってきた仲間達。
 家族よりも長い時間をともにしてきたかもしれない、大切な友人たちだ。

 昔は、二人とも喧嘩なんかしなかったのに、いつからこんな事になったんだっけ?
 頭を人形達の間に埋めながら、胡蝶は夢想する。
 いくら考えたところで、浮かんでくるのは昨日の晩御飯くらいのものだ。

 強く胸に人形達を抱きながら、胡蝶は願う。この子達も、動いたり喋ったりしてくれればいいのに。
 空想の中ではなく、実在する話し相手として何かを食べたり飲んだりできなくとも、せめて自我を持ってくれればいいのに、と。

 願ったところで叶いはしない。所詮は子供の妄想だ。

 分かっている。
 現実のおもちゃは動きはしない、喋りもしない、自分の意思など持っていない。

 けれど、もしも——。

 そう願わずにはいられない。

 もしも本当に叶うものなら、それはどんなに素晴らしいものだろうか。

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